爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

優先道路も何のその 周囲に車が居なくなるまで動かない田舎のおばさんドライバー

「本日見かけた交通違反」にしたいんですが、違反はしていないので、「交通迷惑」程度のものです。

 

私の運転歴では、湘南地方の郊外住宅地、金沢市近郊、そして今住んでいる熊本県南部の「ド」田舎町で車の運転をしてきましたが、田舎町には他では見られない特異な運転様式が見られます。

 

それが、特に中高年女性に多い「自車が優先だろうがなんだろうが、関係なしに、”周囲の車”が居なくならないと動こうとしない」という性癖があります。

 

今日見かけたのもそういった車でした。

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ちょっと分かりにくい図で申し訳ないのですが、片側1車線のやや広い道路と、脇道の狭い道路の交差点です。

脇道から出ようとしている車は停止して優先道路側の車が行くのを待っています。

 

そこに右の方からやってきた車が、左折のサインを出したのですが、何を思ったか交差点の手前で止まってしまいました。

どうやら右から出る車に行けと言っているように見えます。

仕方ないので、一時停止中だった車は動き出し、先に道路をわたって進行していきました。

 

それから、おもむろに止まっていた車は左折を始めました。

 

この行動自体はまったく違反ではありませんが、停車中の車から見るとまったくの「迷惑」です。

優先側はさっさと行ってくれないと、止まっている車は動きようがありません。

一見、「親切心から」とも見えますが、こういった例外行為は事故の元です。

 

このような行動を取るのは、中高年女性が多いのですが、上記のように周りに他の車や自転車歩行者が居ると、動けないという特徴があります。

それほどに、運転に自信がないのでしょうが、やはり危険行為というべきでしょう。

 

これに類した行動はよく見かけるのですが、今日のは「道の真ん中で止まってしまった」というところが特に印象的だったので取り上げてみました。

「ズルい食品ヤバい外食」河岸宏和著

こういった題名の本では、単に食品添加物を使ってあるだけでダメとか、残留農薬は何でも危険といった、ほとんど読む価値もないものが多いのですが、パラパラとページをめくってちら見をしてみたら、結構面白いことが書いてあると感じ、読んで見ることにしました。

 

すると、かなりまともな論旨であり、実情もよく分かっているということが垣間見えるように思いました。

 

著者の河岸さんは、帯広畜産大学を卒業後、養鶏場、食肉処理場から惣菜工場、スーパーの厨房衛生管理者まで、様々な職場を経験されたという方で、経歴を見ればその確かな意見も納得できるものです。

 

本書を貫いている確かな主張は、「消費者のために商品を作っている企業」と「儲けるためだけに商品を作っている企業」の両方が存在しており、それを見抜くことが大切だということです。

 

食品添加物についても、「添加物はなんでもダメ」などという実態を知らない空論ではなく、「美味しくするために不可避の食品添加物」と「儲けるために使われる添加物」があるということをはっきりと述べています。

 

こういったことは、なかなか一般消費者が見ただけでは分からないことが多いのですが、それもできるだけ見抜けるようにヒントを記しています。

 

精肉は、今ではほとんどの消費者はスーパーで購入しているでしょうが、良いスーパーと悪いスーパーははっきりと別れています。

精肉は塊肉からスライスしてすぐに売られるのが一番です。

スライスして時間が経つとドリップという肉汁が抜け出してしまいます。

しかし、この加工場をスーパーの店内に作り、担当者がスライスするとコストが上がります。

そのために、加工場を一括して別の場所に設けたり、別の業者に委託するところもあります。

このようなスーパーを見分けるには、加工場の表示を見て、さらに加工年月日が書かれているかどうかを確かめること。

このような店内加工をしているのは「ライフ」イトーヨーカドー」「サミット」などだそうです。

 

食肉加工品は、加工食品ですので食品添加物や原材料を表示しなければなりません。

ここで、多くの消費者は食品添加物や原産地などを見たがりますが、実際はそれほど悪い食品添加物などありませんし、原産地も海外でもほとんど問題となりません。

それよりも簡単に判断できるのが「原材料に、大豆たんぱく、卵タンパク、乳タンパクなどを使って混ぜ物で水増ししていないか」ということです。

ハムなどは豚肉で作られていると思っているでしょうが、実は100kgの豚肉から上記の混ぜ物をして150kgのハムを作ることができるそうです。

 

ロースハムを作る時に、リン酸塩や発色剤、酸化防止剤はどうしても使ったほうがよくできるということがあります。

しかし、「混ぜ物をしたために使わざるを得ない食品添加物」は実はメーカーが儲けるために使われているということです。

こういったものには、増粘多糖類などがあたります。不要な混ぜものを使うための添加物であり、その使い方を見抜くことができます。

 

 

肉類だけでなく、鮮魚でも外注工場を使うスーパーが増えているそうです。

これも、売れるまでには相当な時間が経過しており、鮮度は落ちてしまいます。

ただし、見たところスーパー店内に厨房があるように見えていても、業者から刺し身の状態で仕入れて、その厨房ではパック詰めするだけというところもあります。

(それでも最終加工場はそのスーパーと表示しても嘘にはなりません)

丸々1匹の魚を「調理承ります」(三枚おろしなど)と書いてある店は大丈夫なようです。

 

さて、この本では良い店として推奨できると何店かの店名をあげているところがありますが(その店が著者の取引先とかいう疑いは棚上げにしておきます)

「悪い店」というのはさすがにほとんど明記していません。

しかし、一箇所だけありました。

牛丼チェーンで、客のためを思えば牛肉の味の向上が第一なのですが、そういった努力よりも店員人件費削減ばかりに努力?しているような「すき家」ははっきりと名前を挙げて批判しています。

以前、店員一人だけで営業させていた「ワンオペ」が問題となっていたのに、まだそれが続いているそうです。

とてもそのような店舗が「美味しい牛丼」を提供できるとは思えないと断罪しています。

ここの部分は、かつてちょっと業務上の関わりがあり、すき家の元締めゼンショーに苦い汁を味合わされたので、激しく共感しました。

 

読むまではちょっと不安もあったこの本も、著者の豊富で濃密な現場体験が内容の濃さを見せてくれて、なかなか良いものと思いました。

この本も、ちょっと題名で損をしているかな。やや品位に欠けるところがあります。

 

知らないと危ない! ズルい食品 ヤバい外食

知らないと危ない! ズルい食品 ヤバい外食

 

 

年金受給年齢70歳を3年で断行? 他人のことには「決断と実行」 ご自分のことは?

安倍「最低最悪」首相が、年金受給の70歳からの選択を3年間で実施するということです。

どうしても年金を受け取らせたくないのでしょうか。

 

ご自分たちに関する改革は何も進めないくせに、他人の年金に関することには決断力、実行力があるところを見せつけたいようです。

 

年金受給を遅らせるためには、当然のことながら収入を維持する方策を考えなければなりません。

しかし、これまでの、60歳から65歳に遅らせたから雇用も維持とは言っても、文字通りの意味で「定年延長」をしたところはほとんどなく、「再雇用」などとごまかして格段に低い賃金で「雇ってやる」ところが大部分ではないでしょうか。

 

(なお、私は「雇ってももらえません」でした)

 

これでは70まで延ばされても、「屈辱の5年」が「屈辱の10年」になるということでしょう。

 

日本の政治は、投票率も高い高齢者に甘く、若年者に厳しすぎるということが言われます。

どこを取ればそう見えるのやら。

高齢者など、ちょっとのほどこしでも与えておけばちゃんと投票してくれると甘く見られているのでしょうか。

 

これまでの、「自分たちのためにならない政治をする政党に、延々と投票し続ける」愚かな選挙行動に、今こそ区切りをつけるためにも、「高齢者、非正規労働者生活保護受給者、中小企業経営者・労働者、失業者」のための政策を実施できる政治勢力(今の野党にもそのような勢力はほとんど見当たりません)が必要とされています。

 

 今朝の記事で言及した「品位ある社会」、それとは対極の、「品位のかけらもない社会」が日本なのでしょうか。

「内田樹の研究室」より、”品位ある社会”

なにか、かつてやたらに流行った「品格」関連の話のようですが、これはアヴィシャイ・マルガリートという人の書いた「品位ある社会」という本を内田さんが読んでの感想ということです。

なお、マルガリートはイスラエルの哲学者のようです。

 

そして、この本は50年ほど前に出版され欧米では大きな反響を呼んだ、ジョン・ロールズの「正義論」に関連したものであるようです。

 

ロールズはそれまで倫理学を主に支配してきた「功利主義」に代えて「正義」を基にすべきとし、議論を展開しました。原爆投下についても批判したそうです。

 

マルガリートのこの本は、ロールズの正義論を端緒としながらも、その方向性を逆にしたというものだということです。

ロールズが正義論を展開してからすでに半世紀、世界は相変わらず正義とは正反対の原理で動いています。

正義が本当に有効なのか、それをマルガリートは「品位」というもので答えようとしました。

 

「品位ある社会」(the decent society)とは「その制度が人びとに屈辱を与えない社会である」(13頁)と著者は定義する。

とマルガリートの本より引用します。

さらに、

例えば、社会福祉社会福祉制度がうまく働かない理由の一つは、福祉を実施する側が受給資格を与えるために構造的に「屈辱的なテスト」を課す傾向があるからである。パターナリスティックな福祉社会は自尊心を失った依存的な人々を生み出すリスクをつねに抱えているが、「それは困窮者を永続的に二級市民にとどめ、事実上彼らに成人ではない人間という地位を与える社会である」(216頁)。

このあたりは、マルガリートの書いた内容があたかも日本を描いたかのように感じます。

イスラエルでも社会福祉を巡る状況は日本同様なのでしょうか。

 

この非常に分かりやすい例示により、イスラエル同様に日本も「まったく品位のない社会」であることは明らかでしょう。

 

最後に、内田さんはマルガリートの書きたかったと思われる大意を次のようにまとめます。

たぶんこういうふうに要約しても著者は怒らないと思う。「品位ある社会」というのは「品位ある社会とはどういうものか、どのようにすれば実現できるのか」について熟慮する人びとをある程度以上の比率で含む社会だということである。定義の中に定義すべき概念がすでに含まれていることを咎める人もいるかも知れないけれど、しかたがない。「品位」というのは「事物」でも「出来事」でもないからだ。「屈辱を与えない」という「何かが起きない」事況のことである。品位は「この社会には品位がある」というかたちで実定的に実感されるものではなく、「この社会には品位がない」という欠性的な仕方で実感されるものである。私は著者のこの「大人の知恵」に賛成の一票を投じる。

 

ここで、日本にとって大きな課題を示しました。

日本が「品位ある社会」になるためには、「どうすれば品位ある社会を実現できるか」を熟慮する人々を多数育成しなければならないということです。

「金儲けをするためにはどうすればよいか」ばかりを考える日本人にはちょっとハードルが高すぎるようです。

 

 

交通事故寸前 危ないところで止まれた

昨夜は自動車で出かけるところがあり、帰りは10時近くになりました。

都会とは違ってこの辺りでは夜も9時を過ぎると車の通行量も減り、歩行者自転車はほとんど見かけません。

 

それで少し気が緩んでスピードを出しすぎたかもしれません。

 

交差点で左折をしようとしたのですが、信号がもうすぐ変わるということでちょっと急ぎました。

 

すると、横断歩道に自転車が。

高校生ぐらいの男性で、かなりのスピードで交差点に進入してきました。

その寸前までまったく目に入っていなかったのですが、急ブレーキで危うく衝突は避けられました。

無灯火だったのも、気がつくのが遅れた理由でしょうが、それほど照明の暗いという交差点でもないのに、なぜ見えなかったのか、ショックが大きい後味の悪さでした。

おそらく、左折のあとの進行方向に注意が行ってしまい、交差点内部への注意がおろそかになったのでしょう。

 

まあなんとか事故には至らずに済んだのは良かったのですが、それほど急ぐ必要もないところでなんであんなに気が焦ったような運転になってしまったのか、反省点がたくさんあります。

 

「〈石油〉の終わり エネルギー大転換」松尾博文著

著者の松尾さんは現在は日本経済新聞編集委員論説委員、東京外語大アラビア語科を出て日経新聞社入社、中東での勤務も経てエネルギー問題の専門家という人です。

 

石油の行末はやはり縮小に向かうという判断でしょうか。

その代りが、シェールオイル天然ガス、そして再生エネルギーということです。

 

こういった「経済専門家」の技術判断というのは、どこから情報を仕入れるのかと思ったことがあります。

おそらく、知人の技術専門家から聞かされるのでしょうが、「今はない技術」の見通しは誰に聞いても正確であるはずはありません。

 

私の見たところ、「技術者・科学者」の未来予想はすべて過大で楽観的、もっと端的にいえば「開発資金欲しさの我田引水論」です。

 

この本の趣旨に沿って言えば、「シェールオイル」なるものは、石油採掘の残りカス、しばらくは採れるがすぐに無くなるというものでしょうし、「天然ガス」も石油に先駆けて無くなりそうです。

さらに「再生エネルギー」は装置価格が下がってこないのがすべてを表すように、コストが合わないものでしょう。

 

経済専門家の見通しは5年、10年は確かに極めて正確なものでしょうが、100年、200年先を考える人はいません。

100年先にはエネルギーはかなり減少するでしょう。石炭はまだ少しはあるものの、石油はかなり減少。それにつれて値段は高騰。

それをカバーできる「再生エネルギー」はありません。

わずかながらに小規模風力や水力発電で電灯ぐらいは点くかもしれません。

 

そんなわけで、あまり期待もせずに読み始めた本ですが、その通りの印象でした。

 

「石油」の終わり エネルギー大転換

「石油」の終わり エネルギー大転換