爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「風は山河より 第5巻」宮城谷昌光著

菅沼三代を描いた風は山河よりも最終巻になりました。
徳川に仕えた菅沼定盈ですが、徳川が織田に従うことで織田の戦いにも巻き込まれていきます。姉川の戦いでも徳川軍の一員として戦います。
しかし、その後武田信玄三河遠江への侵攻の構えを強くし、東三河の豪族も武田に従う者が多くなります。菅沼定盈は武田に仕えてもまた人質を取られ、殺されることにも成りかねないことから、野田城の備えを固めせめてもの一矢を報いるという意思を固めます。

やがて信玄が自ら三万の大軍を率いて三河に攻め込んできます。ほとんどの豪族は信玄に降り、戦ったものもすぐに打ち破られますが、定盈はわずか500人の兵と共に野田城に籠り抵抗を続けます。武田軍は1ヶ月にも渡りそれを落とすことができず、その間に信玄の体調悪化を招き軍の引き揚げと引き換えに野田城開城で和睦します。
定盈は捕虜となるものの、信玄の尊敬を受けその後人質交換で帰国し家康や信長の賞賛を受けます。

その後も徳川に仕え江戸時代には小さいながらも大名として家を続かせることとなります。

信長秀吉家康といった戦国時代のメインともいうべき歴史のみを見ているとなかなか分からないのですが、一般の人々もそれぞれが自分や一家・一族の命運をかけて全力を尽くしていたことが描かれています。もちろん力が足りずに没落するもの、運が悪く破滅するものなど消えて行った人々も多かったのでしょう。
菅沼定則から定村、定盈の三代を見ると、まだ東三河の中だけで争いようやく三河統一に向けて松平清康が動き出したところでであった定則の時代と、大きく日本国内統一に向けて大国同士の争いになりその中で力を発揮した定盈の時代はあっという間の出来事なのですが、世の中の枠組み自体が大変化したと言うことでしょう。さらに定盈の息子になると完全に江戸幕府内の一大名の意識になってしまいます。激動の時代だったと言うことです。