爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「風は山河より 第4巻」宮城谷昌光著

菅沼定村が雨村の戦いで戦死してしまい、まだ若い嫡子の定盈はすぐに父の弟たちの反逆に遭いますが、若くても抜群の人格を見せ無事に危機をくぐりぬけます。
その後は今川の勢力下で束の間の安定を見ますが、その後すぐに桶狭間の戦いを迎えてしまいます。
この辺のところは歴史家の間でもどのような戦いであったのか諸説あるようですが、著者は比較的さらりと事実のみを記しているようです。

今川義元が討ち取られたと言っても、織田信長にはその後一気に今川家を滅ぼしに駿河に攻め入るという力は全くなく、菅沼家などの三河の豪族は苦しい立場に追い込まれてしまいます。
今川の後を継いだ今川氏真は父よりさらに暗愚で、松平元康は早くに見限り離れて行きますが、東三河の豪族も水面下で松平に就く動きを見せたために人質を出すことを強要し、菅沼も定盈の妻と妹を人質とされてしまいます。
その他の豪族も嫡子や妻を多く人質に取られてしまいますが、さらに松平の動きが急となったために人質を処刑してしまうと言う愚挙にでます。定盈の妻と妹もその寸前に逃げ出しますが、妻は討手に殺され妹だけが辛うじて逃げることができました。他の13人の人質はその直後に処刑され、このために東三河の豪族のほとんどは完全に今川を見限り松平に就くことになってしまいます。

松平元康は名を家康と改め、織田信長とつながりを強めるなかで今川の残勢力と戦いますが、武田信玄が今川を救うと言う名目で駿河に進出しさらに遠州三河も標的とするようになります。このあと、信玄との決戦が迫ることとなります。

それにしても、普通の歴史本や小説では桶狭間のあとは信長と秀吉の動向だけに目が行ってしまい、駿河や関東、甲斐の状況などはその後織田・豊臣の平定のところになって再び話に出てくるまではあまり扱われていませんが、たしかに今川義元亡き後の駿河近辺の混乱と言うのは大変なものだったのでしょう。このようなことは日本中どこでも起こったことなのでしょうが、知られていないものが多いということを改めて感じます。