爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「”科学的”って何だ!」松井孝典、南伸坊著

科学全般を誰にも分かりやすく説明しようとして、科学にはまったく素人と見える有名人と、科学者とが対談をして行くという、よくある作りの本です。

 

素人として出場してきているのが、イラストレーターの南伸坊さん。

科学者の方が、東大の惑星物理学の教授の松井さんということです。

 

導入部は「血液型性格判断」がなぜ科学的ではないかということから始められています。

これは「科学的には無意味」であることは明らかですが、そこをいかに素人にも分かりやすく説明するかということで科学者の力量が問われます。

「性格というものは脳の中のニューロンの回路の接続の仕方の話なので、血液中のある物質の型がどうこうということが関係あるはずがない」という論理で言い切っていますが、これで「誰にでも判る」かどうかは知りません。

 

その後は松井さんの専門分野である物理について、時間旅行や宇宙の果て、ブラックホールなど、物理学とSF小説の狭間のようなところを取り上げていきます。

 

また、日本の現状について、不合理がまかり通る社会になってしまっているという認識から学校教育の失敗についても言及しています。

理数系はやはり我慢して勉強することが必要ということです。

 

読み終えても、あまり「判ったような気にさせてくれない」ように感じました。

 

「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書)

「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書)

 

 

「なぜ大国は衰退するのか」グレン・ハバード、ティム・ケイン著

大国の興亡というものについては、これまでも様々な人々によって分析され記述されてきました。

この本はアメリカの二人の経済学者が、歴史上および現代の大国の興亡を、行動経済学、制度経済学、政治学の知見をもとに読み解き、経済的不均衡が文明を崩壊させ、経済的な衰退が制度の停滞により引き起こされたことを明らかにしたものです。

 

取り上げられている国は、古代ローマ帝国、明朝中国、スペイン帝国オスマン・トルコ帝国、日本、大英帝国、ユーロ圏、現代カリフォルニア州、そして米国です。

 

ポール・ケネディの大著、「大国の興亡」を出発点としていますが、その主張の「帝国の拡大しすぎが衰退の原因」という結論は否定し、経済の不均衡を解決できない国家の政治的停滞が衰退の真因であるということを述べています。

 

例えば、古代ローマ帝国では、経済的不均衡は財政面・金融面・規制面にあらわれており、政治的な原因として福祉国家の拡大、中央集権化した統治、軍事独裁が関わっていたとしています。

 

日本についての分析は、1994年に転換点を迎え、財政面・構造面での経済的不均衡があり、政治的原因としては、特定利益集団や中央集権的官僚制に比べて民主制が脆弱なこととあります。(これは当たっているか)

また、新重商主義を経済成長策とするヒューリスティック、大規模な銀行や企業による損失回避が行動面での機能不全であったとしています。

 

もちろん、アメリカについての分析がこの本の主題ですが、アメリカの政府財政はすでに長期の負債超過で機能不全に陥っています。

これは、歴史的に戦争を理由とした財政赤字拡大というのが主因であったものが、最近の赤字は「エンタイトルメント支出」であると言っています。

このエンタイトルメント支出というのは、容易に削減できる裁量支出とは異なり、公的医療保険や扶助制度、社会保障費といった簡単には削減できない性質のものを指します。

これが財政を圧迫する限り赤字脱出は難しいものです。

 

しかし、著者は民主制が機能する限りはアメリカが再生するだろうという希望を抱いています。

経済の問題もまず、憲法の原則に立ち返ることで政治を正し、難題を解決することで再び比類なき経済大国に導ける経済成長を成し遂げられるだろうとしています。

 

このような夢を抱くのが本当に必要なことなんでしょうか。

 

なぜ大国は衰退するのか ―古代ローマから現代まで

なぜ大国は衰退するのか ―古代ローマから現代まで

 

 

「偽装死で別の人生を生きる」エリザベス・グリーンウッド著

偽装死、すなわち自殺や事故、殺人被害者などとなって死んだと見せかけ別の人間になりすまして生きていくということです。

日本でもあることなのかもしれませんが、アメリカでは結構あることのようで、事件として有名なものもいくつもあるようです。

 

著者のグリーンウッドさんも、大学と大学院時に借りた学資ローンが10万ドルにもなってしまい、これを返し続ける人生がどういうものかと想像しただけで嫌になり、偽装死をして別の人生ができないかと考えてみました。

(という、本の構成になっていますが、本当かどうかは知りません。脚色かも)

 

イギリスのストックトンというところで刑務所の刑務官をしていた、ジョン・ダーウィンは借金を抱えておりなんとかしたいと思いました。

そこで、妻と共謀し自分に多額の保険金をかけ、カヌーで海に出たまま遭難したように見せかけ、他人になりすまして海外に出ました。

しかし結局は出頭し逮捕されました。

 

マイケル・ジャクソンが実は死亡しておらず生きていると信じている人も多数居るそうです。

エルヴィス・プレスリーもそうだと信じられていました。

実際にそういうことをした人もいたからでしょうか。

 

9.11のテロの際には、刑事訴追されている者や、多額の借金を抱えている者など、非常に多くの人々がそこに居合わせたことにして「本人からの捜索願」が出されました。

犠牲者の総数は2801名だったのですが、捜索願は6000件以上あったそうです。

うまうまと保険金を受け取った人も何人もいました。

 

著者はその後、つてをたどってフィリピンに出かけ、死亡証明書を入手することに成功します。

賄賂を使い政府関係者から入手した分と、偽造したものとを合わせ一応ひとそろい手にしました。

もちろん、専門の保険調査員に見せたら一発で見抜かれたようですが、その用途(保険請求)に使わなければなんとか使えたのかもしれません。

それでも、実使用はあきらめて学資ローンは着実に返すことを決めたそうです。

 

偽装死で別の人生を生きる

偽装死で別の人生を生きる

 

 

「欲望の資本主義 ルールが変わる時」丸山俊一(NHK”欲望の資本主義”取材班)著

NHKの「欲望の資本主義」という番組の取材として、ノーベル賞受賞者コロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツチェコ出身の異色の経済思想家であるトーマス・セドラチェク、元ゴールドマン・サックス社員の投資家スコット・スタンフォードを迎えて、大阪大学の経済学者安田洋祐氏が対談した内容をまとめた本です。

終章にはセドラチェク氏が三菱ケミカル会長の小林喜光氏と対談した内容も収めています。

 

スティグリッツは「見えざる手はない」として「アダム・スミスの間違い」を語ったことで有名ですが、現在の資本主義の暴走は短期主義の金融市場によるものとしていても、新たな科学の進歩でこれまでと違った資本主義が生まれ、成長が維持できるとしています。

 

セドラチェクは共産主義時代のチェコスロバキアに生まれ、共産主義崩壊の直後に23歳でチェコ共和国大統領の経済顧問に招聘されるという経験をしています。

成長を必須とする、成長資本主義は誤りであると明白に言っています。

成長のためならば低金利政策や大量の国債発行も可というのが全ての先進国の考え方ですが、これが問題であるとしています。

セドラチェクは成長に反対しているわけではないと言っています。成長そのものが悪いのではなく、成長が最優先と考えるのは間違いということです。

経済が成長しないのは、もうこれ以上成長する必要がないからだとしています。

あまり好況が過ぎるのはおかしい、これにブレーキをかけなければいけないということを考えなければいけないのです。

成長しなければならないという脅迫観から、日本では国債と言う未来からのカネを注ぎ込んでいます。

良い投資であれば借金をしても大丈夫という議論もありますが、借金や必ず返済しなければなりません。

2008年の金融危機は大きなものでしたが、この時もしも「債務がゼロだったら」危機の影響はほとんどなかったはずです。

政府が銀行からGDPの3%の借金をして、それを財源に公共投資をし、それでGDPの1%の成長が達成されれば政府は大喜びをするはずです。しかし、それは間違いです。

借金で買った成長に意味はありません。

 

セドラチェクという人、なかなか見るべき事を言う人だと発見しました。

 

欲望の資本主義

欲望の資本主義

 

 

「酸素のはなし 生物を育んできた気体の謎」三村芳和著

酸素は大気中に21%含まれておりそれは簡単に変わるものではないような気になってしまいますが、地球の成り立ちを考えるとそれはほんの偶然にすぎなかったようです。

 

本業はお医者さんですが、山登り好きがこうじて酸素について考えることも多くなってしまったという著者の三村さんが、地球誕生以来の酸素の歴史から、現在の酸素にまつわる生化学的な知識、病気に関する話、生物の酸素への対応など、実に盛り沢山な内容を新書に詰め込んで、素人でもこれ一冊読めば相当分かった気になれるという、お得な本になっています。

 

宇宙全体の元素の存在量をみると、水素が70%、ヘリウムが28%とこの2種でほとんどを占め、その他の元素は微量に過ぎないようです。

ビッグバンのあとしばらくは水素、ヘリウム、リチウムしかなかったのですが、徐々にそれらのガスが集まり重力が生じ、その中で核融合反応が進み出し、質量の重い元素ができてきた時に酸素も誕生しました。

それは太陽の10倍以上も大きな恒星で作られたのですが、それが数十億年をかけて地球に水として降り注ぎました。

高速で降り注いだ水は炭素と結びつき二酸化炭素一酸化炭素となり、また遊離した酸素は地球の核に大量に含まれる鉄と結びついて酸化鉄となりました。

 

27億年前に、地球にはシアノバクテリアが登場し、光合成を行って酸素ガスを放出しだしました。それまでは大気中の酸素濃度はほぼ0であったのですが、徐々にあがってきます。

しかし、その上昇速度は非常に遅く、1億年たってようやく現在の大気中酸素濃度の10万分の1に達しました。

そうこうしている間に、地球全体が凍りついたという、全球凍結が起きます。

24億年前から22億年前まで、そして8億年前から6億年前までの2回は凍りついたと見られます。

この時は地表は赤道まですべて1000m以上の氷で覆われ、シアノバクテリアもほとんど死滅しました。

ただし、火山の噴火口など特に高温であったところにかすかに生物が生き残ったようです。

ほとんどの生物が死に絶えたために、二酸化炭素が徐々に濃度を上げていきました。

そうなると温室効果が起き、ようやく7000万年たって気温が上昇し、一気に氷を溶かし出してしまいました。

するとわずかに残っていた生物が急激に拡散し繁茂し、そして進化も起きました。

酸素濃度が1%を越えたところで、カンブリア紀の大爆発と呼ばれる進化の急激な進展が起き、現在の多細胞生物のほとんどが出揃いました。

 

その後、生物は5回の大絶滅により急減しては、また急激な回復を果たすということを繰り返してきました。

これらの大絶滅はその原因も多様ですが、その中の1回は無酸素に陥ったことが原因であったようです。

2億5000万年前にはそれまでの最高濃度の30%に達していた酸素濃度が急降下するというスーパーアノキシア(酸素欠乏)という事件が起き、そのときに生物種の多くが絶滅しました。

その原因はいくつか考えられますがまだ確定していないようです。

 

 

酸素は生物にとって有害ですが、それ以上に有利な働きがあります。

それは、有酸素でのエネルギー獲得であり、酸素を使わないエネルギー獲得の18倍も有利なものです。

ただし、酸素が活性化した活性酸素(名前だけは有名でしょう)はその反応性の高さから体内のあちこちに障害を与えるため、この活性酸素を有効に除去できる機構を備えた生物だけが生き残ってきました。それができないものたちは、「嫌気性生物」として酸素から逃れて生き延びています。

また、生物は酸素を有効に使う機能をあれこれ備えているために、低酸素の高山などでは機能が衰えてしまいます。

それを逆に利用する、マラソンなどの高地トレーニングというのもよく知られているものでしょう。

 

ガンなどの腫瘍と酸素の関係というものも知られています。

腫瘍では反応が非常に盛んなために酸素消費量も多く、付近の酸素濃度を下げてしまうほどです。

そのために、低酸素障害を起こしやすく、それを逃れるために新たに血管を作ってしまう「血管新生」ということを始めます。

そのため、血管新生を阻害したり、血管を塞いだりするというガン療法も行われています。

ガンの転移と言うことにも、この低酸素状態から抜け出すと言う意味が関与しているそうです。

 

いやあ、酸素というものは面白い。まあ、他の元素も面白いんでしょうが。

 

酸素のはなし―生物を育んできた気体の謎 (中公新書)

酸素のはなし―生物を育んできた気体の謎 (中公新書)

 

 

「日本の年金」駒村康平著

経済学者ですが、社会保障や年金が専門で、政府の顧問や有識者検討会の委員も勤められたという著者が、年金問題について詳細に説明されていると言う本です。

 

年金というものは、誰もが大きく関わるはずであるのに、あまりまともに考えたことがないという、困った状態です。

恥ずかしながら、私も会社に勤めている時には、「なんでこんなにたくさん天引きされるの」と不満を抱きながら、いざ貰う段になってみると「なんでこんなに少ないの」と文句を言うという、情けない有様ですが、他の人もだいたい似たようなものでしょう。

 

日本社会は急速な高齢化の進展から、年金財政も急激に悪化しその存続も危ぶまれるほどになっています。

また、厚生年金や共済年金はまだ支給額も確保されるものの、国民年金というものは支給額がとてもそれだけで生活を支えられる額ではなく、生活保護受給が避けられないものになります。

さらに、その国民年金すら掛け金未納で受けられない人が急増しています。

 

国民年金は元々は自営業者(農家を含む)のためのものとして作られましたが、その後そのような自営業者の人口は減り続け、現在では実質的には労働者の中でも非正規雇用者が加入するという性格が強くなっています。そのために、掛け金も払うことができない人の割合が増加しています。

 

年金制度というものが充実しているのは、先進国だけと言えるのですが、その先進国の中でも様々な年金制度のタイプが存在します。

しかし、どの国でも高齢化は程度の差こそあれ進み、国家財政の窮乏も進んでいるために年金制度の危機は存在しているようです。

 

年金制度のタイプとしては、

ビスマルクタイプ」 所得比例の給付建てを特徴とする。ドイツ・フランス・イタリア・日本(ただし日本は全国民共通の基礎年金が存在)

ベヴァリッジタイプ」 国民全員を対象として均一給付。ニュージーランドアイルランド

「ノルディックタイプ」 所得比例年金を中心としながらも、税と年金の一体徴収を行ない、制度の一元化を推進し、低所得層の給付を重点化した最低保証年金を用意し、上乗せの私的年金個人年金の制度を用意する。 スウェーデンフィンランドノルウェー

があります。

 

これらのタイプができるのは、それらの基になる思想の違いがあります。

つまり、「国民全体をカバーし普遍的な所得比例年金を推進する、社会民主主義的アプローチ」「職業別に加入する現行制度維持の、保守主義的アプローチ」「公的年金を縮小し民営化積立方式を進める、市場中心的(リバタリアン)アプローチ」です。

これらは、現在の政党別の政策の違いとも対応しています。

それぞれに長所もあれば欠点もあります。

 

これからの年金をどうするかという問題は、決めるべきことが多数あり大変なことなのですが、著者はこれらを政争のタネとするのではなく徐々にでも話し合いを続けて改善し続けなければならないとしています。

 

なお、年金積立金の運用については最後のところに記述がありました。

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は2006年に設立されました。

その運用の基本ポートフォリオは、国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%外国株式12%、短期資産5%となっていました。

しかし、2014年には運用資産額126兆で、国内株式が16.47%に増加しています。

安倍内閣の政策として、公的年金積立金の積極運用ということが取り入れられ、国内債券率の引き下げと国内株式率の引き上げが行われました。

現在はまだ株式市場の高騰が続いているので見かけ上増えているように見えますが、株式市場の暴落という事態が起きれば大変なことになるのは目に見えています。

本書の中には、「公的年金積立金の運用利回りにはそれほど高いものをクリアする必要はなく、賃金デフレの環境では極端に言えばごく低い1.6%でも大丈夫」としています。

 

株式市場の相場吊り上げだけが目的の危険な政策だということでしょう。

 

日本の年金 (岩波新書)

日本の年金 (岩波新書)

 

 もっと早く、しっかり勉強しておくべきだった。

新聞記事より 誰が負担をするのか

毎日新聞11月1日の紙面に、首都大学東京の阿部さんが書いていた記事が興味深いものでした。

https://mainichi.jp/articles/20171101/ddm/016/070/002000c

 

子供の貧困対策などで財政出動の議論が為されます。

しかし、そこには必ず税負担の増加や財政支出構造の変化が伴いますがそれを自分のことと認識する人は少ないようです。

特に、いわゆる「中間層」はこれに限らず何でも自分たちが「救済される側」だと思っているようだと阿部さんは書いています。

 

直近の厚生労働省の調査では日本の世帯所得の中央値は428万円。これ以上の所得の世帯は真ん中より上の位置にある。世帯所得が800万円以上なら上位20%に入る。子どものいる世帯の8割は世帯所得400万円以上なので、ほとんどの子育て世帯も中間層以上だ。この子育て世帯も税や社会保険料を負担していただかなくてはならない。

 「中流階級」「庶民」「子育て世帯」。こういった言葉はしばしば「守られるべき」存在として語られる。しかし少なくとも所得分布の上半分の人々は「担う側」であるという認識をより強く持つべきではないか。

直近の厚生労働省の調査では日本の世帯所得の中央値は428万円。これ以上の所得の世帯は真ん中より上の位置にある。世帯所得が800万円以上なら上位20%に入る。子どものいる世帯の8割は世帯所得400万円以上なので、ほとんどの子育て世帯も中間層以上だ。この子育て世帯も税や社会保険料を負担していただかなくてはならない。

 「中流階級」「庶民」「子育て世帯」。こういった言葉はしばしば「守られるべき」存在として語られる。しかし少なくとも所得分布の上半分の人々は「担う側」であるという認識をより強く持つべきではないか。

中流階級、子育て世帯、庶民 こういった言葉はしばしば守られるべき存在として語られる。しかし少なくとも所得分布の上半分の人々は担う側であるという認識をより強く持つべきではないか

 

まさにその通りでしょう。

その前に書かれているように、「借金は現在の子どもたちへの”つけ”であるからこれ以上増やすわけにはいかない」ものですから、何かに使おうとすれば一部の富裕層だけから取るだけではなく中間層も広く負担しなければならなくなります。

 

何でも「国」からむしり取ることができるわけではありません。自分たちのこととして考えなければならないのに、ただ「成長」というだけの成長病患者を政治家として選んでしまった。

そのつけがこれから重くのしかかってくることになります。

直近の厚生労働省の調査では日本の世帯所得の中央値は428万円。これ以上の所得の世帯は真ん中より上の位置にある。世帯所得が800万円以上なら上位20%に入る。子どものいる世帯の8割は世帯所得400万円以上なので、ほとんどの子育て世帯も中間層以上だ。この子育て世帯も税や社会保険料を負担していただかなくてはならない。

 「中流階級」「庶民」「子育て世帯」。こういった言葉はしばしば「守られるべき」存在として語られる。しかし少なくとも所得分布の上半分の人々は「担う側」であるという認識をより強く持つべきではないか。