またもアメリカで銃乱射事件。今回はユダヤ教の礼拝所を狙い多くの人が亡くなりました。
トランプ大統領も、娘婿がユダヤ人と言うこともあるのか、追悼の辞を(形だけは)述べていますが、さらに「武装した警備員が居れば良かった」と馬鹿げたことを話しています。
このような事件が起きるたびに、銃武装論者たちはさらに勢いづき銃の必要性を強調しますが、もしもこの礼拝所に銃を持った警備員がいたとしても、犯人はまず最初に警備員を射殺してからゆっくりと他の犠牲者を探しただけでしょう。
銃を持っているだけで重罪にできるようにしなければ、発砲事件の被害者を減らすことはできません。
しかし、アメリカ社会の分断というものは、論点がはっきりしているものも多いためにそれだけ亀裂も大きいのでしょう。
日本社会は論点がぼやけ、対立も明らかではないようです。与党も野党も言っていることがそれほどは違いません。主要対立点(憲法改正?)を除けばほぼ同じことを言っているのではないかと思います。
それだけ、日本社会の闇の方が深いのかもしれません。