爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「いま地震予知を問う 迫る南海トラフ巨大地震」横山裕道著

著者の横山さんは1969年に毎日新聞社に入社、科学記者として活躍されていたのですが、ちょうどその時期は東海地震が迫るという危険性が唱えられ大規模地震対策特別措置法(大震法)が制定され地震予知も多くの予算をつぎ込まれて推進されていたころです。

そのために、新聞でも予知の成功を期待するという基調の記事が多く書かれ、著者もそういった風潮を疑いもしなかったそうです。

 

しかし、その後阪神淡路大震災をはじめ、多くの大地震が起き、さらに東日本大震災まで発生して多くの犠牲者が出ましたが、いずれの地震予知などまったくできないままに起きてしまいました。

そのために、一般社会だけでなく地震学者の間でも地震予知というものに対して疑問を表する人が増えています。

 

そのような情勢の中、これまで最も危険性が高く差し迫っていると言われてきた東海地震ではなく、南海トラフやその周辺まで連動するような巨大地震発生が大きく問題視されるようになってきました。

これがもしも「予知」されるならその犠牲者の多くを救うことができます。特にその被害の多くは津波によると予測されるため、その効果は計り知れないほどと言えます。

本書はそういった観点から、今の地震予知というものの状況はどのようになっているのかをまとめたものになっています。

 

東海地震発生が危惧されたのは40年前の1976年に東京大学の石橋克彦氏が発表した「駿河湾地震について」というレポートからだそうです。

それまでも他の人が地震発生の危険性について発表されることがあってもさほど反響を呼ぶことはなかったのですが、この時はその直前の1975年に中国で大きな「海域地震」が発生し、それの予知に成功して被害を軽減できたという報道があった(実際はそうではなかった)ために、日本でも努力すればできるという気運が高まっていたためか、その後の大震法の制定に向けた動きは大きなもので監視体制の構築から、判定会開催などの手続きまであっという間に出来上がっていきました。

 

その後は小さな地震はあっても危惧されたような大地震がその地域で起きることはなく、かえって他の地域で大地震が頻発しています。

 

どのような現象を大地震の前兆現象と言えるのかということはまったく分かっていません。

前震活動や地盤の隆起・沈下といった現象は確かに大地震の前に起きていることはありますが、それらは大地震に関係なく起きることもあり、また起きずにすぐに大地震ということもあり、まったく一定せず前兆現象と見ることは不可能です。

ラドン濃度の変化が起きるという話もありますが、これも地震によって現れ方に大差があります。

また電磁波の異常も有望視されましたが、これも地震の際に見られるのは事実ですがそうでない場合も多いようです。

 

結局、大地震の前兆と対応するような現象というのは見つかっておらず、これからも見つかるかどうかは疑問でしょう。

最近では「前兆スベリ」という現象が大地震の前にあるのではという説も出ていますが、まだ実証までは程遠いようです。

 

しかし、地震学者の多くが疑問をもつ現在の予知体制であるにもかかわらず、気象庁など政府機関は大震法と予知体制は堅持していくという姿勢のようです。

まったく無理と決まったわけではないからということのようですが、このへんは決まったことは変えたがらないという役所特有の思考によるものでしょう。

 

著者の結論は、地震予知研究の現状を見つめ直すこと、大震法は廃止も含めて根本から洗い直すこと、そして地震に関する基礎研究から担当できるような研究者を育成できる体制を作ることということです。

特に、大震法頼りの予知体制に安住してしまい基礎研究がおろそかになっているのではないかというのは関係学会に対して大きな指摘でしょう。

そのために、基礎研究を目指す若手研究者が減少しているとか。ここを変えなければ地震基礎研究自体が痩せていくでしょう。

 

地震の被害を軽減するための大きな手段が地震予知ですが、それが混乱の中に置かれているのが現状です。政府の真摯な取り組みが必要でしょう。

 

いま地震予知を問う: 迫る南海トラフ巨大地震

いま地震予知を問う: 迫る南海トラフ巨大地震