精神科医にして様々な社会批評、文化批評などの評論活動も盛んな香山さんの本はこれまでも何冊も読んでいますが、今回は日本人の劣化というテーマです。
どのような現象をもって劣化とするか、様々な人がその周辺の人々、出来事を取り上げては劣化したと判断をしているのですが、それじゃ昔は良かったのかという批判もありそうです。
しかし、香山さんはそれらの視点を十分に意識しながら、やはり「劣化している」と述べています。
分かりやすい現象から、「活字の劣化」「モラルの劣化」と言う点を取り上げて本書の冒頭部分は始まっています。
長い、固い文章を読まなくなったというのは若者ばかりではありません。以前の感覚ではまともな本とも言えない様なものが良く売れるという傾向は顕著なようです。
また、企業の不祥事が相次ぎそれで潰れる会社もでてきました。
個人の身勝手と正当な権利の主張の違いも分からずにわがままとしか見えないことを声高に叫ぶ人が目立つようになりました。
社会のエリートと目される人々の間にもありとあらゆる「力」精神力、体力、知力から生命力まで、欠けているような人々が増えている印象です。
社会自体の劣化と言わざるを得ない現象も目立ってきています。政治の世界では与党も野党も力を失っていくようです。
それと同時に「寛容の劣化」と言わねばならない状況が起きています。ゼロトレランスと言う、少しの異端も認めずに排除しようとする動きが強まっています。これは日本だけではなく欧米など世界的に進んでいるようです。
これらの現象の基にあるものを、著者はレーガンやサッチャー、日本では小泉などの時代から進んできた新自由主義であると主張しています。これは規制緩和を進め市場原理を基に小さな政府を目指すと言われていますが、結局のところ強者がやりたい放題に総取りを目指すというものです。
この結果、儲けた者が正しいという風潮ができてしまったということです。
これがあらゆる劣化の原因となるのですが、社会の一部にはこれを「進化」と言い張る者も出てきています。これが最大の劣化でしょう。
劣化を防ぐ方策というものも本書の最後に挙げられています。しかし、それがどうも無力のように見えるのもいかにこの動きが抗しがたい巨大なものであるかを示しているように見えます。