爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「〈はかる〉科学」阪上孝、後藤武編著

中部大学に中部学術高等研究所という機関があり、そこでの共同研究として行われたのが「はかる」ことに関してさまざまな方向から行われた研究です。
その内容をコンパクトにまとめて新書版にしたというのが本書です。
メートル法の成立、単位の普遍性について、環境の計測とは、といった計測の基本から、古代シュメールでの土地の測り方、朝鮮の古地図に見る表現思想、考古学とリモートセンシング、音響学、音の認知など、はかることに関しての多方面からの見方をちょっとずつ解説したというものですので、まあ興味ある分野については他の本で詳しく調べてよと言ったものになっています。

フランス革命のあと、フランスではメートル法を採用しその後の世界の計測というものについて大きな影響を与えました。しかし、それも革命前の度量衡の大混乱があったからこそ、大変革が可能であったようで、旧領主は穀物などの秤量の際に恣意的に大きさを変えた枡を使い分けるということをやって収入を増やしました。それを正すというのも革命の一つの動きだったそうです。

音を測るということは、弦楽器の弦の長さの数学的な関係と言うことをギリシャ文明ですでに気づいて以来、その比率と和音の関係が純正律につながりその改革として平均律が出来上がるという進化につながるのですが、一方ではそれらとまったく関係のない音楽を作り出した文明も数多いものでした。
メロディーのまったくない音楽文化と言うものもあり、バリ島ケチャというものはリズムだけでできているそうです。
音楽が楽音と呼ばれる音だけでできているというのも西欧的な感覚でしかなく、きしみ音、息漏れ音、しゃがれた声などと言うのは非楽音と言われ音楽とはみなされない者でしたが、これらも日本の伝統音楽では音楽の構成成分として重要に扱われます。中央アジア西アジアの乾燥地帯でも非楽音を好む文化と言うものが存在するそうです。
音を重ねる楽しみにも文化の差があり、日本では合唱といっても必ず斉唱であったのですが、台湾の原住民やヒマラヤ高地、ポリネシアでは複雑な音を組み合わせる文化があるようです。

ダンテの神曲に見る、「罪と罰の重さを測る」という項目もあり、ここまで来るとちょっと計測の一部としては考えにくいイメージがあります。確かにどのような罪をどの罰に合わせるかと言うのはダンテの属した文化における罪の考え方によるものなのでしょう。このあたりの事情は各文化のあいだでどのような罪が重罪となっているかの違いと言うものとも関わってきそうです。

というように、ちょっと範囲が広すぎて分かりずらい印象にも思える話だったようです。