日本語学の本かと思って読んだのですが、どうも中身は違ったようです。
この読書記録を書くにあたって、ネットで著者の経歴等はチェックしているのですが、本書には国語作文教育研究所所長とあり、子供の作文だけでなく企業の研修での作文のチェックなども行う業務をされていたそうです。まあちょっとユニークな方法のようで、それは本書の内容にも現れてきています。
なお、私とほぼ同年代のようだったのですが、昨年病没されたということで、冥福を祈るという文章にもかなり検索できました。最近近い年の人で亡くなる人も続出です。仕方のないことですが、自分の体には気を付けていきたいところです。
さて、本書は明治維新以降の政府の目指した政策というものは、すべて「言語政策」というもので説明ができるということを主張しています。そして、それは第二次世界大戦敗戦というものでも決して否定されたものではなく、その後も継続して連綿と続けられていたのですが、ここにきて英語化の圧力が強まり小学校ですら英語教育、そして外資系企業以外でも社内で英語を通用させるといった事態になったことでその言語政策が断ち切られたと断じています。
どうも素人目にはそのような確固たる政治の意思があったとは到底思えないのですが。
著者の基本姿勢は「国家は言葉によって作られる。人も言葉によって作られる」というものです。これはある意味では真実だと思います。イタリアやドイツが統一に向かった際には言語の統一ということも目指したということがありますし、日本でも明治維新以降は間違いなくそれを目指していたのでしょう。
ただし、その先の民話や小説、学校唱歌なども「言語政策」の一環であり権力の意図があって作られた一面があるという主張は、ちょっと「陰謀論」的な傾向が過ぎるのではないかと感じられます。
しかし、最後のところで今日の状況を見ると英語が国際語となり日本語はローカル言語としてのみ生きられるという主張は確かなものだと感じますし、それに向けた言語政策を確立すべきという意見も間違いないでしょう。
まあかなり変わった主張も入ってはいますが、結論だけは間違いないという本だったように思います。