爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「原発と大津波 警告を葬った人々」添田孝史著

著者の添田さんは大阪大学基礎工学で修士を取り朝日新聞に入社、科学記者として活躍、東日本大震災を経験し、その後退社して現在はフリーのサイエンスライターとなったそうです。

東日本大震災による福島第1原発の事故は、「想定外」の津波により起こったと再三言われており、ある程度は仕方の無かった部分もあるのではと思わされてきましたが、とんでもない話だというのが本書の一貫した姿勢です。
40年以上前の設計建設当時の学術知識では判らなかった地震津波の影響ですが、その後の研究の進展がどんどん進み、原発の安全性、特に津波に対する脆弱性というものは一部の学者だけの指摘ではなくかなり多くの人々が危惧していたようです。
政府にもそれに同調する人も出たにも関わらず、あれこれと理屈をつけては対策実施を先延ばしにしたというのは歴然としており、さらにその証拠を少しでも隠そうと隠蔽工作を続けているのも確かであり、そのような人々の責任というものは重いといわざるを得ません。

福島第1原発は1966年に設置許可、1971年より運転を開始しました。その当時はまだプレートテクニクス理論も確立しておらず、大地震の起きる原因というものも分かっていませんでした。したがって、建設の基準となる耐震性というものも極めて不十分な推定によるものだったようです。さらに、津波に至ってはまったく理論もないまま以前の津波高さというものを見るだけのものであり、それも貞観地震などは考えもせずに近い時代の津波だけ、わずか12年分のデータで作ってしまったということです。
津波の高さというものを理論的に求めることができるようになったというのも最近の研究成果ですが、それを現実の原発の安全対策に生かすという考えはまったく行き渡らずに無視されてきました。そのようなバックチェック制度というもの自体がなかったということです。

しかし、1993年に起こった北海道南西沖地震でのとくに奥尻島での大災害で政府も津波の危険性について不安視するようになり、1998年に津波防災の手引き(いわゆる七省庁手引き)を出しました。それによると、「最新の地震学の成果により算定される津波高さにさらに安全側に見積もった津波高さを想定する」とされていました。これを実施すると福島第1原発では計算上津波高さは13.6mとなったそうです。これは実際に東日本大震災の時の津波高さとほぼ一緒だそうです。
この津波に対応するということは原発を停止しての大工事が必要となるために、東電を始めとして関係者はこの手引きの実施を食い止めようとあらゆる努力をしたそうです。
「土木学会津波評価部会」という組織もその努力に深く関わりました。しかし、学会の部会といってもその構成員は電力会社関係者が多く、とても公正な評価をするような組織ではなかったようです。

2006年のスマトラ島沖大地震では大規模な津波が発生し、インドにも押し寄せてマドラス原発の冷却ポンプを停止させるという事故が発生しました。これも参考にするだけの姿勢があればまだ福島原発の事故の規模は小さく押さえられたかもしれませんが、何もしようとはしませんでした。
なお、原発事故当時の福島原発所長で事故を食い止めるために努力した吉田昌郎氏は実はこのときには東電本社側にいて対策潰しの側に回ったそうです。運命の皮肉というところでしょうか。

2009年ごろにはようやく貞観地震による津波の規模がはっきりとわかってきました。それが再び起これば原発もすっぽりと津波に飲み込まれることも判っていながら対策引き伸ばしに終始したということです。

著者は新聞記者としての経験から、今回の事故の要因としてはメディアの責任も大きく取り上げています。さまざまな疑問があったにもかかわらず、なぜ事故の起きるまでに十分に取り上げなかったのかということです。対策の不作為に終始した電力会社や政府の諸機関とともに、掘り下げた報道ができなかったのは大きな間違いだったということです。

どうせそんなところだろうとは思っていましたが、詳しい経緯を証拠を挙げて論証した本書は極めて価値の高いものだと感じました。