爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「化石エネルギー依存文明 (3) 石油供給の限界と文明の行く末」

そのエネルギー供給能力について問いかけているのが「オイルピーク論」です。これは元々はアメリカの石油生産量がそのピークを迎えるということをシェル社の研究員であったM.K.ハバートが1956年に見出したことに始まります。
 これは石油に限らず、限られた資源を市場原理に任せて使用していくと、その生産量推移をプロットした場合あたかもロジスティック分布曲線のようなグラフ形状を取るという現象です。おそらく、資源を市場の欲望に任せて供給していくとどんどんと増加速度も増していくものの、残存量がちょうど初期量の半分程度になったところで生産力が急激に低下し、価格が急上昇するため結局は供給量が激減していくためと考えられます。
 ハバートの発表当時は大変な反発を招きましたが、結局はアメリカの原油生産のその後はハバートの予言に近いものとなりました。今度は世界全体の原油生産がその道筋をたどるかどうかです。その可能性は極めて高いものと考えられます。

 人類が石油を本格的に使用し始めたのは20世紀に入ってからと言えますが、特にその消費量が増加してからはまだわずか50年程度と言えます。この時点までで約1兆バレルの原油を消費してしまったと考えられます。
 そして現在の原油残存量は諸説ありますが、1兆バレル程度というものから7兆バレル以上というものまで数字が出されています。これはどれが間違いということではなく、何を「残存量」と考えるかによって変わってくるものと言えます。
 これまでに使ってきた原油のように、油井を掘っただけで自噴してくるような液状の上質な原油はおそらくすでに残り1兆バレルよりははるかに少ないでしょう。しかし、固化してしまったようなオイルシェールやオイルサンドなどといったものまで含めれば7兆バレルという数字もウソではないようです。
 しかし、重質の原油成分が砂に混じったようなものから石油成分を取り出すというのでは現在のような原油の使い方はとてもできないと考えられます。
 つまり、これまでのような石油社会を維持していけるような原油残存量ということでは、残り1兆バレル以下というのが妥当なものと言えます。

 日本ではなかなかこういった問題を正視することができないようですが、欧米や中国の政策担当者の思考の中には確実にその可能性に対する対処というものへの意識もあるようで、エネルギー確保のための時にはなりふり構わぬ行動も見られます。(アメリカのイラク戦争、中国の海洋進出など)しかし、いくら力によるエネルギー確保を目指したところで早かれ遅かれ無くなって行くのは避けられないところです。またそれに代わるエネルギー源確保という試みは延々と続けられていますが、今のところは決定版と言えるものはまだ無く、いくら金をかけて開発を進めても必ずしも成功するとも言えないようです。
 技術だけでは解決しないかもしれないのがエネルギー問題かもしれません。

 このような状況が現実であるということは、考えにくいことなのかも知れません。しかし、いくら経済政策を変えようが、なかなか景気の良くならない現状というものは、実はエネルギー供給の翳りが出てきているためではないかと考えるとどうでしょう。結構、思い当たるところが多いのではないでしょうか。
 そして、そうだとしたら景気回復などと言うことがもはや可能ではないということも分かってくるでしょう。次に考えるべきことはなにか、それは経済成長などと言う時代錯誤の幻想ではなく、少しでも地獄に向かうのを避けるための方策を考えることなのではないでしょうか。