爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「グロテスクな教養」高田里恵子著

専門はドイツ文学ということですが、桃山学院大教授の高田さんが日本の教養主義の経緯について書かれたものです。
教養主義というものはいつの間にか?消え去ったような感がありますが、元々は大正時代あたりに発達し、工学などといった実学ではない哲学・文学・芸術(それも大体西洋の)に傾倒するという態度を取ることで、エリートであることを主張しようとすることでしょうか。
戦前の旧制高校や戦後の一次の国立大学などがそれの本拠のようです。

しかし、実は当時でも大学などの本流は実学であったようです。それらを出て社会に進むというのがエリートの生きる道で、帝大卒のエリートサラリーマンであってもそのような教養はあったとしても隠しておき、一般大衆と付き合っていくのが望ましき?像というのが主流だったようです。
自分自身も大学で学びながらもまさにその実学に進み、就職して一般大衆?の中で仕事をしてきましたので、言っている意味はよく判ります。その反動が今に出て本の乱読につながっているのでしょうか。

そのような教養主義というものも実学優先の中で衰退して行きますが、1980年代に”ニュー・アカ”(ニューアカデミズム)と呼ばれる最後の灯火が燃えたようです。浅田彰などの一派のようですが、実はその当時はすでに就職し田舎の工場で技術一方の生活であったためにほとんどそれについては知りませんでした。実はニューアカという言葉自体初めて聞いたような気がします。しかし、その中で触れられている”細川周平”という名には覚えがあります。付き合いはありませんでしたが、高校の同窓生でした。

著者が本題とは直接関係のないことで描写していることで、次のような文章がありましたが、まさに正鵠と感じました。「1960年代に高度成長期における一億総中流意識と日本型終身雇用制によって、その昔は特権的女性のみに許されていた専業主婦になること、サラリーマンの夫を拿捕することが女性の一般的な人生コースとなった。そのような女の花道の裏には、男性が大学を卒業し就職してめでたく定年退職できるという人生があった。それが経済成長と冷戦体制が偶然作り出した歴史上のある一時期で可能になったコースであったことが判明した。」
私などもこれが普通と感じていたのですが、そうではなかったことが今実感されます。