中国史学者で京都大学で中国史の体系化を成し遂げたと言われる宮崎先生の史記列伝の抄訳と史記研究に関わる数々のエピソードをまとめたもので、95年に亡くなった前の遺稿とのことです。
主な部分は戦前に研究を進められたものか、やや古色が感じられる部分もありますが、現在の研究はこれらを基に進められたものですので、歴史的な価値はあるのでしょう。
関連論文に関しては、これまであまり感じていなかったもので、特に列伝の部分では民間伝承を取り入れたものが相当あったという点があります。司馬遷が漢代に記した史記ですが、秦の時代はすぐ前でありまだ影響も大きく生々しい思い出である部分もあり、いろいろの伝承もあったのかと気づかされます。
秦の丞相の李斯は列伝に入っていますが、始皇帝が亡くなった時に末子胡亥を皇帝に立てようという陰謀を宦官の趙高とともに進めますが、その経緯などを直接聞いたかのように記されていますが、このようなものは正式な記録があったはずはありません。しかし、このあたりを司馬遷が創作したというわけでもないようで、実はすでに巷間にそういった伝承が作られていたというのが指摘です。
なお、趙高も自らの野心のために陰謀を進めたというのが一般的な見方ですが、実は趙高は趙国王族の遺児で、趙を滅ぼした秦に復讐するために機会を利用したもので、司馬遷もそのような伝承を見聞きしていたのではないかということです。
これまでもいろいろと読んできた史記列伝ですが、その基盤にはこのような研究があった上でのことかと納得です。