爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「人名の世界地図」21世紀研究会編


人の名前に関する本では、日本の姓氏やヨーロッパの個人名の本は読んだことがありましたが、この本は一人の著作ではなくグループの共著ということで世界の姓氏および個人名についての幅広い紹介になっています。

東アジアとヨーロッパの知識だけで考えていると大きな間違いということはここでもあるようで、人名と言うのが個人名+家名と思い込んでいるとそうではない地域が非常に多いようです。
ヨーロッパですら、基本的にこの構造になった(詳しくは違いそうです)のは歴史が下ってからで、個人名+氏族名+家名というのは古代ローマだけで他のヨーロッパ人では個人名だけだった時代が多かったそうです。
その後でも家名と扱われていても、元々個人のあだ名であったり、職業であったり、父親の名前であったりしたものが家名となってきたということで、中国・朝鮮のように代々の氏族名を保持していたり、日本の領地名から来た家名を保持というのとは違うようです。

さらに、個人名も宗教の制約から聖人名に限られてきたヨーロッパやイスラム圏ではその数が限られており、同姓同名が多くなってしまったとのことです。
そのために英語圏で同じ名前からの多数の愛称が生まれたという現象も理解されます。Elizabethからエリー、ライザ、ベティなど多種の愛称ができたのも当然かもしれません。

それ以外の地域での個人名の付け方で関わってくるのが、呪術的要素で、本名を知られると呪われるとか、同じ名前だと不幸を呼ぶとかいう習慣のあるところも多いようで、これは現在の日本の奇抜な名前が横行する風潮とも同根と考えられます。

ミャンマーには家名というものが無く、アウンサンスーチーさんはその全てが個人名だそうで、父親がアウンサン将軍だからといってもそれが家名というわけではないようです。

また、父親の名前を個人名の下につけるという習慣の地域の名前を、勘違いして下の名前を家名のように呼んでしまい結局は父親の名前を言っているだけという例が多いそうですが、そういう地域も世界的な圧力で父称をだんだんと家名のように扱う傾向になってきてしまっているそうです。こういった単一化が良いのかどうか不明ですが。