爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

安倍総理、稀代の名総理として歴史に名を残す道が見えてきた

森友学園事件など、政権の基盤を揺るがすような事件が相次ぎ安倍総理の足元にも火が及ぶような事態になってきました。

 

私は安倍総理の政治姿勢にはまったく共感をおぼえる点はありませんが、現在の状況を完全に逆転させ、しかも歴史に名を残すような名総理となれる道があることをお教えしたいと思います。

 

今回の事件は森友学園元理事長の籠池氏の言い分にも関わらず、安倍総理が直接に官僚に指示したということはほとんど無いままに官僚の「忖度」によって事が取り計らわれたものと言うことは間違いないでしょう。

 

そこには表面上は法律に触れることはなく、あくまでも合法的にすべては行われたのでしょう。

 

しかし、ここですべての疑惑を解消し、しかも一気に下がった自らの評判を回復する方策があるのを安倍総理もご存じないようです。

 

それをお教えしましょう。

 

総理の意志に沿った施策を、忖度し、一見合法的にすべて取り計らった、しかし実際は国民財産を破格の安値で売り払ったという事件に関与した官僚を、すべて「官界から永久に追放する」ことです。

これで、安倍総理は安倍自身に媚びて勝手に法を曲げる官僚は自分の意志に反するということを明らかにすることができ、さらに、これまでの歴史にはほとんど見られなかったほどの清名を打ち立てることができるでしょう。

 

私がもしも安倍総理の立場であったなら間違いなくその道を選ぶでしょう。

まあ、だからこそ私は総理どころでなく民間企業の重役にもなれなかったわけですが。

 

どうせ歯牙にもかけられないような年寄りの妄言ですが、誰かはそれを是としてくれるのではと感じます。

「”そろそろスマートフォンかな?”と思ったときに読む本」吉澤亨史、所誠執筆

私はいまだにスマートフォンは使っておらず、今後も替える予定もありません。

またこの本は2011年の出版であり、現在ではほとんど通用しない内容だと思いますが、まあ少しは現状理解につながるかと読んでみました。

 

元々、携帯電話を買ったのも周囲から見るとかなり遅れており、単身赴任となって仕方なく購入したものですが、仕事をやめあまり外出もしなくなっては携帯すらそれほど必要なものではありません。

しかし、毎日散歩は買い物に出る際には持って出ないと途中で行き倒れた場合にどうしようもないということもあり、かろうじて持参しています。

 

 

パソコン自体はもう30年以上前から使っており、また仕事でも一時取り組んでいた時代もあり、まあ一般の人よりは理解も深いものと思います。

 

その意味でスマホを見ると「とにかくアプリ次第」、というところが見えます。

それと移動を組み合わせ、ナビ機能というのは確かに便利なものと思います。

もし、まだ現役で仕事をしていたら文句なしにそれは使っていただろうと思います。

 

また、この本の中でも強調されているのが契約するプランをよく考えること。

どのような使い方をするかで、契約内容を考慮しなければひどく費用がかさむということもあるというのは、現在でも変わりはないでしょう。

 

なお、本書にも少し触れてありますが、サイバー犯罪の脅威は現在ではさらに増加しているかと思います。

特に、金銭関係の機能も持たせることが多いスマホではさらに危険性が強いように思います。

 

まあ、危うきに近寄らずかなという想いがさらに強まったところです。

 

 

 

忖度(そんたく)なんて言葉、使ったこともなかったよ

森友学園事件、まだ色々と騒がれていますが、ようやくメディアでも事の本質がうっすらと分かり始めてきたようで(遅いよ)盛んに「忖度(そんたく)」という言葉が使われるようになってきています。

 

私はこの問題が出てきた当初から官僚側の「自発的な対応」が問題と言い続けてきましたが、「忖度」という便利な言葉があることには気が付きませんでした。

 

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今日のテレビバラエティー番組では、忖度と「気配り」ということを何の思慮もなく比較したりしていますが、一般社会での人間関係を潤滑にする気配りと、官僚の政治家に対するへつらい・おべっかと同列に扱って良いはずもありません。

 

忖度という言葉はその使用法が徐々に変わってきているようで、特に部下が上役に対してへつらうという意味に特化してきたのは最近のようです。

 

www.buzzfeed.com

上記の引用文によれば、部下が上役に対してへつらって媚びるといった時に使うのに適当な言い方がなかったので、忖度というようになったとか。

元々、忖度という言葉には他の意味合いも多かったものが、この用法だけに絞られて使われるようになってしまったようです。

「忖度」も可哀想な言葉になってしまいましたが、言葉が悪いのではなくもちろんそういったことをしている連中が悪いのですから、仕方ないか。

 

韓国で前大統領が逮捕収監されたとか。あまりにも激しい国情には少々辟易するところですが、きちんと突き詰めて責任を問うというのは少しは日本にも欲しいところです。

「パーフェクト図解 地震と火山 地球・大地変動のしくみ」鎌田浩毅監修

地震や火山噴火に関する本はいろいろと読んでいますが、この本は有名な地震学者の京都大学の鎌田さんが監修したもので、全ページにカラフルな写真や図版が描かれているという、非常に綺麗な出来上がりになっているものです。

 

火山の写真など、なかなか目にすることができないものも含まれており、噴火の状況というものも分かりやすくなっています。

また地震や火山を起こす地底のメカニズムも詳細で美しい図版で示されており、見てすぐに頭に入りやすいものといえます。

 

 

とはいえ、そこに描かれているものは日本列島が地震と火山の巣のようなものであるということを強く示しているわけで、とても「絵が綺麗」と喜んでいるわけには行きません。

 

地震と火山噴火が連動しているということは、よく言われていますが、実際に地震により火山地下のマグマ溜まりが刺激されたり周囲の岩盤が傷ついたりして噴火に至るということはあるようです。

 

しかし、そもそも地震がプレートの移動により起きているという原理と、火山というものが地下にマントルが流動化したマグマが溜まって噴出するというものであるということから、ほぼ同じ場所で起きるというのが不可分のことであり、世界的にも火山地帯では地震が多いということになります。

 

 

東日本大震災やそれに続く各地の地震が示すように、日本列島は地震の活動期に入っています。

また火山噴火も相次ぎ、こちらも活動期と言えるでしょう。

内陸型の断層地震はいつどこで起きるか分かりませんが、南海や東南海のプレート境界地震は2040年までには発生すると見られており、震源域の広がりによってはM9台の大きさになるとも考えられていて、緊急の対処が必要となっています。

 

 

火山噴火では何と言っても富士山の噴火が心配されています。

富士山はまだ若い火山であり、活動も激しいもので過去2000年に噴火が43回起きています。

これは約30年に一回は噴火している計算なのですが、しかし最後の噴火の1707年の宝永噴火から約300年は活動していません。

実はこれは「富士山の地下に大量の(0.3立方km)マグマが蓄積されていることを示す」ということなのです。

 

富士山は最近の噴火では山頂の火口からではなく、山腹の側火口から噴火しています。

これは山頂までの火道が長くなりすぎ、そこまで行かないところから噴出するようになっているからです。

山腹からの噴火で溶岩が大量に流れ出せば、方向によっては駿河湾まで達する可能性もありそうです。

そうなると、新幹線や東名高速など交通の大動脈も大きな被害を受け日本列島が東西で分断されるという状況にもなるかもしれません。

 

またガラス質の火山灰による被害も予想され、特に季節によっては東の東京側に大量の火山灰が降ることになります。

これにより健康被害、農業被害だけでなく情報通信への影響も懸念されます。

 

 

地震と火山 (パーフェクト図解)

地震と火山 (パーフェクト図解)

 

 

地震、火山噴火の被害を考えると恐ろしくなりますが、こういったことをきちんと考えようとしないのも日本人の特質でしょうか。

確かにまともに考えようとすると身動きが取れなくなるほどのものですから、考えない方がよほど精神的には楽です。起きてから被害を受けての対応だけにしておけばあまり考えなくて良いでしょう。

しかし、今もし数兆円以上の被害が出るような災害が起きればさらに世界経済を巻き込んでの混乱にもなりそうですが。

「府県制と道州制」小森治夫著

道州制」という言葉は時折流れているようですが、ほとんどそれに向けた動きもなく、たまに「九州の州都は熊本に」などという話がご当地熊本には出るものの、何言ってるんだろうねといった程度の感想しか持てませんでした。

 

道州制を導入というところで問題としているのは「府県制」です。

実は府県の役割というものも良くは分かっていませんでした。

この本の著者の小森さんは大学卒業後すぐに京都府庁に入り、その後大学に移って研究を続けられたという、地方行政の専門家ということです。

本書では、これまでの府県制と、それに代えようとしての道州制について、歴史的な経緯と現状を解説するものです。

(なお、現在は「都道府県制」というべきでしょうが、本書では「府県制」と表記されています。)

 

最小の地方自治体である、市町村はこれまでに3回の大きな合併の波があり、その数は激減しましたが、府県は明治初年の廃藩置県直後には多かったもののそれからすぐに現在の規模になり、それ以降はほとんど動きはありません。

 

ただし、戦前においては府県というものは国の地方管轄の制度の中間機構として、国の内務大臣と市町村の間に立ち、国の官吏である知事が市町村を統率するというものでした。

 

しかし、第2次大戦敗戦後、GHQの命令で地方自治の独立が図られ、シャウプ勧告、神戸勧告として地方自治の抜本的な改革が図られたものの、その直後に「逆コース」という動きが強まり、結局は中途半端なものとなってしまいました。

その結果、国の事業の事務配分を受け、また教育と警察は府県の担当となりました。

 

府県の財政では、支出の大きなものは教員・警官の人件費と土木費であり、収入は独自のものは少なく国からの配分にかかっています。

これは、府県の仕事が国の機関委任事務が多かったためともいえますが、それが1980年代以降減らされるとともに補助金も減らされることになりました。

 

さらに、近年は「三位一体の改革」と言われて地方交付税交付金補助金が大幅に削減されたものの、府県への税源移譲はほとんど進まないということになっています。

 

 

一方、道州制ですが、これ自体は戦前から民間から主張されることがあったようです。

経済界からは効率化を求めて広域行政の利点を言われることが多かったのですが、国などの官僚はそれを認めることはなく立ち消えになってしまいます。

戦後になってもやはり経済界からの提言が相次ぐのですが、官界はまともに取り合おうとはしていないようです。

 

しかし、平成に入り大規模な市町村合併も進んだことにより、都道府県の事務というものが空洞化する可能性が強くなりました。

また、地方分権化を進めるためにも、受け皿を強化するには現在の府県では弱いと見られます。

国の出先機関と統合できる母体として道州が使えれば重複行政を防ぐことができます。

 

とは言っても、このような進め方をしようとしても権限を失う中央官庁の抵抗は強く、実現は難しいものと言えます。

 

 

府県制と道州制

府県制と道州制

 

 

まあ、現状の都道府県制についての理解も乏しいのですから、あまり良く分からなかったというのが本音です。

とにかく、中央官庁が抵抗勢力ということだけは分かりました。

「武器としての”言葉政治” 不利益分配時代の政治手法」高瀬淳一著

情報政治学が専門という著者が本書を刊行したのは、2005年12月、小泉純一郎郵政解散も成功させ絶頂となっていたころです。

 

それまでの自民党内閣首相とは大きく異なり、「言葉」により力を大きく得て旧来の手法による政治家を沈黙させてしまいました。

 

そのような小泉の政治手法を「言葉政治」と呼び、それがどのような経緯からできてきたのか、そしてこれからどうなるかというところも解説してみせたものです。

 

 

著者によれば、このような「言葉政治」とはすなわち「小泉型政治手法」ということです。

それは、それ以前の「角栄型政治手法」とも言うべき旧来型の手法とは大きく異なりました。

 

角栄型では、「利益誘導」を行ないそれで恩恵を受けるものたちを自らの集票マシーンとして力を得てきたのですが、時代が変わり誘導できる「利益」も底をつき、小選挙区制にしたために党内の組織も変質し、さらに多くの有権者が支持政党なしというグループに行ってしまってその時々の雰囲気で選挙結果がひっくり返る可能性も強くなりました。

そこでは、小泉型の国民に直接訴えかける「言葉政治」が強力な手法となります。

 

かつてのような、議員だけをまとめておけば国民はどうでも付いて来るといった態度では選挙を勝ち抜けなくなったということです。

 

 

本書では、そのような「言葉政治」という観点から戦後の首相を分類してみせます。

 

稚拙であった者たち 竹下登森喜朗村山富市

理屈だけの者たち 橋本龍太郎宮澤喜一

未熟者たち 細川護煕海部俊樹小渕恵三

 

そして、本格的な言葉政治を始めたのが、中曽根康弘であったとしています。

 

中曽根と小泉を同類として扱うことは、中曽根本人が一番嫌うだろうということです。

2003年の総選挙で、中曽根は小泉から高齢を理由に引退を迫られました。

それ以降、中曽根は小泉批判の急先鋒にたったのですが、しかし客観的に見ればその二人の政治手法はほとんど一致します。

 

小泉は、中曽根に始まった「言葉政治」をさらに深化させ真骨頂としたものといえます。

 

このような「言葉政治」が発達したのは、中曽根や小泉の資質がそうであったからという理由だけではありません。

政治をめぐる背景がそれを求めるようになってしまいました。

 

それは、

小選挙区制導入、無党派層の増大、連立政権・二大政党化、中央省庁の再編、首脳外交の重要性の高まり

という変化からでした。

 

小選挙区制導入で大きく影響を受けたのは、自民党の中での派閥というものの力です。

1区1人しか当選できない制度で、かつてのような複数区で自民党同士が争うということがなくなりました。

そして、自民党の公認が得られるかどうかが選挙の結果を大きく左右することとなり、それを決定する党中枢、とりわけ総裁の力が大きくなりました。

これを象徴的に見せたのが郵政解散総選挙でした。

 

無党派層の増大は90年代にはまだ30%程度であったものが、2000年代には40%以上、50%に達することもありました。

このために選挙は「浮動票をめぐる与野党一騎打ち」となり、首相のアピールが極めて大きな意味を持つようになりました。

 

さらに、2000年代初頭までの「角栄型政治手法」では利益分配政治ということが行われてきましたが、その後の財政難により分配できる利益が減少してしまいました。

そればかりか、政治の基本軸が「だれに不利益を押し付けるか」ということになっていきます。

消費税導入、増税、公共事業削減など、不利益を押し付けざるを得ない政策を一つ通すたびに首相が不人気となり交代。こういった「首相使い捨て」の状況が続きます。

 

その中で、小泉は「一緒に頑張ろう」と国民に呼びかける「チアリーダー型リーダー」として足元を固めたと言えます。

 

最後に著者はこのような「言葉政治」の問題点として、「独善」の危険性を挙げています。

言葉により、政治リーダーに国民的な人気が集中する可能性が大きくなりました。

そこでは、人気集中による「独裁」の危険性もありますが、そこまで至ることは少ないと考えられます。

しかし、リーダーの「独善」により暴走する可能性は十分にあります。

そこで求められるのは、議会、マスメディア、国民による政権批判機能を適正に維持することとしています。

 

 

なお、中曽根と小泉の比較として挙げられているのが、中曽根の演説には比喩が多く、小泉のものには比喩がほとんどないということだそうです。

その代わりに小泉は演説の中に多くの具体例に言及しました。

また小泉は国民に媚びるということはしませんでした。

 

また、小泉の手法の特色として「ワンフレーズ」ということが言われますが、本人が意識して使ったことはなく、マスコミが面白く取り上げてそうなったという側面が強いようです。

 

 

武器としての<言葉政治> (講談社選書メチエ)

武器としての<言葉政治> (講談社選書メチエ)

 

 

小泉が大抜擢した安倍晋三が現在は首相となり権勢を集めています。

彼の手法は「言葉政治」と呼ぶにはほど遠い感じがしますがこの辺のところはどうなのでしょうか。

(「言葉政治」というよりは「詐欺政治」だと思いますが)

八代城跡の桜の花の状況

3月18日に見に行った時の状況はブログに写真入で書きました。

それから10日たち、どうなったかと思って今日見に行きました。

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前回はまだほとんどピンク色も見えず硬いままだったのですが、ようやく先の方には色が見えてきました。

しかし、まだまだ開花とまでは行かないようで開いた花は見られませんでした。

 

本日も朝はかなり冷え込んだものの昼になって相当気温は上がってきました。

このまま暖かい日が続けばあと数日で開くのでしょうが、天気予報ではまだ冷える日がありそうです。

 

しかし、こんな状況でも屋台の露天商がすでに店を出しています。

さすがに営業はしていませんが。

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まだ花見には1週間以上ありそうですが、こういった場所の営業許可も日付で決めて出さなきゃいけないんでしょうね。

満開時期は完全に外れてしまいそうです。