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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡」井上文則著

歴史学者で早稲田大学教授の著者ですが、ご専門が古代ローマ帝国衰亡時ということで、まさに専門の中心のところを一般向けの書物として刊行されています。

 

ローマの初代皇帝アウグストゥスから、西ローマ帝国滅亡までの約500年間の間に、ローマ皇帝となった者は77人いたそうです。これは同時期に420年続いた中国の漢帝国の皇帝が28人であったのと比べると非常に多い、(=一人あたりの治世期間が短い)ことを示しています。

 

また、これらローマ皇帝の出身地を見ると元々にローマ帝国の発祥地であったイタリア半島の出身者は22人であるのに対し、バルカン半島がそれを上回る24人でした。

バルカン半島の中でも現在のクロアチアセルビア、当時のパンノニアとモエシアの辺り(この地方をイリュリアと呼びます)からの皇帝がほとんどです。

彼らはローマ軍に入り軍功を重ねた後に皇帝となった成り上がり者たちです。

 

彼らがなぜローマ帝国皇帝となることができたのかということ自体が、ローマ帝国が滅亡に向かっていった帝国をめぐる世界の構造と関わっており、それがそれ以前の支配者階級であった元老院議員階級との支配権に関する変化と連携していたということです。

 

元老院はローマ共和制の頃からあったのですが、アウグストゥスの帝政でもその支配機構として機能するようになりました。

その議員たちは様々な役職を経験しながら地位を向上させていくのですが、帝国初期にはその中に必ず軍務経験というものが含まれ、軍団司令官や属州の総督を経験しなければトップに登ることができませんでした。

 

しかし、段々と帝国が爛熟していくにつれ、元老院議員階級への資産集中が進み大富豪となっていくと、彼らは辛く厳しい軍隊勤務を避けるようになってしまいます。

その結果、軍団の指導者層と元老院議員との分離が起き、軍団指導者には地方出身の下層階級が能力次第で就任するようになりました。

 

さらに、この頃にはペルシャササン朝が興隆し力を高めて行き、さらに北方の異民族であるゲルマン人やゴート人もローマへの侵略の動きを強めることとなりました。

このような戦力を高めることが必要とされた時期に、元老院議員階級はその能力を失ったことで結局は政治の主導権も軍人出身者に握られることとなりました。

 

西暦235年から起こった皇帝ウァレリアヌスの改革で、元老院議員を政治と軍事の中枢から排除し代わって軍人出身者がその勢力を増すということになりました。

 

中国の帝政と比べて特徴的なのは、中国では征服王朝の皇帝たちは中国中心部の貴族階級と通婚を繰り返し融合していったのに対し、ローマでは軍人出身の皇帝たちは元老院議員階級とはまったく通婚せず、別れたままであったということがあるそうです。

このあたり、時代と状況は似通っていても中国とローマとの間には大きな文化的背景の違いがあるようです。

 

その後、異民族侵入はさらに激しさを増し結局は西ローマ帝国は滅亡してしまいます。

もしも元老院議員が質実剛健の気風を忘れず政治と軍事の中枢であり続けていればその滅亡も先に延びたかどうか、分かりませんが、何らかの関係はあったかもしれません。

 

軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡 (講談社選書メチエ)

軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡 (講談社選書メチエ)