爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「芭蕉の真贋」田中善信著

著者は俳諧に詳しい文学者で、芭蕉についての研究も深くされているようです。
そのため、芭蕉関連の資料についてもその真贋から検討されており、それは他の研究者と異なる見解であることも多いようで、論争となることもあるようです。
本書はその一端を紹介されているものであり、あまりその実態を知らない者にとっては学界の議論というものの片鱗を見る思いがして興味深いものです。

芭蕉と言えば俳諧の世界でもっとも影響力の大きい人であったために、その弟子や孫弟子、またそれらの人を囲む人脈といった具合に多くの人が関わってきた社会を作り出した人です。そのために、後世の人々が自己の立場を強化するなどいろいろな動機から芭蕉の書というものを偽造といったことをやったようで、それらの判定ということが必要になってきます。
よく見られるような金目当ての模造といった場合とは異なり、芭蕉と直接触れ合った人々が作るということもあったようで、判定には細かい内容の検討も必要となってくるという、細部にわたる目配りがなされる作業のようです。

奥の細道の自筆の写本というものが発見され出版もされたのですが、この通称「中尾本」というものについて、さまざまな研究者から真贋の両説が発表されているということです。本書著者は真筆説ですが、贋作説を取る研究者もいるようで、その根拠として筆跡もさることながら誤字があることを挙げている人もいるようですが、著者は「誤字があることを理由として贋作であるとはいえない」という立場です。つまり、芭蕉も間違って書くことはあった。(それもしばしば)ということです。まあそうなんでしょうね。

署名については、非常に細かい検討が必要となるようで、「桃青」という署名を使った時期があったのですが、その「桃」の字の筆順から筆の勢いにいたるまで検討し贋作判定ということもあるようです。確かに署名は同時期ではほぼ同一の書き方で済ませていたでしょうから、当然ほぼ同じにならなければおかしいということでしょうか。

金沢の門人の「北枝」という人に宛てて書かれたという芭蕉の書簡はこれまで贋作と考えた人はいなかったようですが、著者はこれも贋作だろうと推定しています。その根拠は金沢の火事でほとんどの家が焼けてしまい、その門人も被災したのですが、その割にそれについての記述が素っ気なさすぎており、芭蕉の他の書簡と比べて不自然であるということです。これも難しい判断でしょう。

芭蕉が「旅路の画巻」として描いたと伝えられているものも残されています。一般には芭蕉の親友であった素堂の奥書にこの画集が芭蕉作と明記されているということで、芭蕉真作に間違いないとされているのですが、著者はこれも怪しいと判断しています。それは「絵が上手すぎる」からだということで、他に残されている芭蕉の絵というものは非常に素人っぽい稚拙なものであるのに、この画集ではほとんど専門家のような描き方をされているからだそうです。
これも微妙な判断と言わざるを得ません。

平山梅人という人がおり、芭蕉死後に芭蕉の資料を紹介して芭蕉の令名を高めたとして高く評価されることが多い人ですが、この人の手になる資料もかなり怪しいものが含まれているということです。良く言えば芭蕉のため、なのですが悪く見れば自己の芭蕉門人間での位置を高めるための偽造であったのではないかというのが著者の見解です。これはいくつもの事例が紹介されており、そうかもしれないと思わせるものでした。

芭蕉といえば数々の資料が残されているので、真贋の判定は比較的楽なのかと思いましたが、そう一筋縄ではいかないようです。特に、その後の芭蕉教団ともいうべき集団ができていたということから、その中での活動も反映されており、事情は複雑になっていたようです。それを明らかにしていくという研究も大変なものだろうと思います。