爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

行ったことのある都道府県 宮崎県

宮崎にも観光で何度も行ってはいます。子供の頃に親に連れられて行ったときは、大淀川のすぐそばの旅館に泊まり、窓から川を眺めていると鉄橋を貨車を長く連ねた貨物列車が渡っていた記憶があります。その時は青島や堀切峠までは行ったように思います。

 

しかし、それよりもやはり最近の仕事で訪ねた時の方が鮮明な記憶として残っています。

会社の仕事で一時、酒の製造関係をやっていたため、宮崎県内の酒造業者との付き合いもありました。そのため製造所訪問ということで何度も工場に伺ったことがありました。

当時はそのような酒造会社が宮崎には二軒あり、一つは高千穂町、一つは串間市でした。同じ宮崎県内とはいってもその間の距離は極めて遠く、まだ高速道もありませんので、相互の通行というものもほとんどできない状態でした。一度、東京の本社のエライさんがやってきて、二社を回りたいから案内せいと言われたのですが、そればかりは無理と諦めてもらいました。

 

高千穂の会社の訪問には、熊本からは松橋インターの横を通る国道218号をひたすら走るばかりです。途中に通潤橋のある矢部、文楽で有名な清和(どちらも現在は山都町)を通り、宮崎県に入ってからは五ヶ瀬を通り過ぎてようやく高千穂に到着でした。

高千穂に行ったと言っても仕事の話ばかりで、結局これまでは一度も高千穂神社や有名な渓谷を訪れることもできませんでした。ただ、一度だけ訪問時間より少し前に着いてしまい、少し山を登って国見ケ丘というところから町内を一望したことがありました。

山ばかりですが、そこのあちこちの山間に水田が見え、国の始めはこのような土地から起こったのかと納得したものでした。

 

串間に行くにはまったく別のルートで、九州自動車道で人吉からえびの市に出て、そこから宮崎自動車道に入り、都城まで行ってから一般道で山越え、鹿児島の志布志を経由しそこから海沿いに宮崎に入るというのが普通でした。これも嫌になるほど遠い道のりでした。

高速も鹿児島へ行くルートは少ないながらも車が途切れることはありませんが、宮崎道に入ると途端に車が見えなくなります。前後数キロにわたり車が居ないということもありました。都城からさらに南下すると通行量はもっと減ります。だいたいいつ行ってものどかに晴れているイメージで、南国というのはこういうものだという感覚がするところでした。

串間の町のすぐ先には野生馬で有名な都井岬がありましたが、ここにも一度も寄ることはありませんでした。

ただ、たまたま一度だけ一泊してあとは帰るだけと言う日程の時があり、その機会を利用して日南市飫肥の城下町を見てくることにしました。

串間からは少し山を越えるとそこが日南市の油津で(台風中継でよく出ます)そこから少し山側に入ると飫肥の町に着きます。伊東氏の城下町で、日露戦争の時に外相であった小村寿太郎の生地でもあり、それらの施設を巡ってきました。もう一度行ってみたいところではあります。

 

熊本県内はわずかな土地まで開発されているのですが、宮崎はそこまで行かずあちこちに森林があるという印象があります。住んでみると違うのかもしれませんが、少し長く滞在してみたい気はします。