最近仏教の語句の語源に関する本を読んでいて、「火宅」ということばと「方便」と言う言葉に行き当たり、現在の大きな課題である「脱石油」という問題について思い当たることがたくさんありました。
火宅とは、火事が燃え盛っている家ということで、その中で何も知らずに遊んでいる子供がいます。その子供に火事だから逃げろと言っても訳も判らないかもしれず、そこで「外には面白いおもちゃがあるよ」と話して外に逃がすのが「方便」というものです。
方便とは、「ウソも方便」という言葉で使われることが多く、あまり良い印象ではないかも知れませんが、とにかく迷う衆生を救うと言うのが仏の目標ですので、そのために最善を尽くすということなのでしょう。
火宅というのは危険に溢れた現実の世界です。そこから衆生を救うためなら方便を使ってもよいとは、昔は少し抵抗感もあったことで、やはりとことん理を尽くして説得して動かすべきではないかなどと思ったものですが、年を取った今ではそちらの方が確かな手法かもと思ってしまいます。
現実の世界はまさに「火宅」そのものです。今にも焼け落ちそうな世界の中で何も知らずに遊びまわっている子供のような(子供に失礼か)人々が右往左往しています。この人たちを救うためなら「方便」を使っても良いのだろうか。仏ならぬ我が身ではそのような迷いが激しいのですが。
とは言え、脱石油を果たすためには経済はとことん縮小せざるを得ないなどと、いくら話してもほとんどの人は説得できないでしょう。しかし世界が焼け落ちてから「ほら言ったとおりだったろう」とうそぶいても何にもなりません。