爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「地球環境・読本」別冊宝島101

最近いつもの図書館に行く暇が無い時もあり、昔読んでそのまま置いてある本を再読することもあるのですが、これも1989年発行という古いもので、まだバブルのさなかだったでしょうか。

別冊宝島というのは、「ムック」と呼ばれる雑誌と書籍の中間のような作りの本で、この別冊宝島のシリーズはその草分けのような存在だそうです。まだ続いているようで、ご同慶の至りですが以前は何冊か購入して読んだこともあります。
一般向けとはいえなかなか内容は凝った作りになっていて、執筆者の選定も一理ある方向性になっています。
この本でも各項15ページほどで20人以上の面々が書いていますが、その中には当時は知らなかったのですが温暖化批判で有名な槌田敦さんや、宇井純さんなども入っており面白い内容になっています。

この本では当時の環境についての議論で広く信じられている誤っている部分を解説するという方向で語られていますが、その対象も環境汚染、エネルギー、食糧問題、異常気象、自然保護、廃棄物と多岐にわたっています。
そのため、各項目はやや掘り下げ足りない思いはしますが、あくまでも入門の読み物といったところでしょうか。

その中で、「エネルギーを使えば使うほど人間は貧しくなる」と題して当時京都大学原子炉研究所の瀬尾健さんが文章を書いています。
この方についても全く知りませんでしたが、この文章の内容はなぜか頭に残っていて、その後にもかなり影響を受けたと思います。自分の思考の経緯をたどると、会社の勤めでエネルギー部門に関係したことから自然エネルギーと言われるものに興味を持つようになり、それが二酸化炭素温暖化論にと移行し、それがさらにオイルピーク説に触れたことからエネルギーと文明の関わりというところに進んできたのですが、その原点の一つがこの文章だったのかもしれません。

今回ちょっと調べなおしてみたら、京都大学の原子炉研究所でもその中にある「原子力安全研究グループ」という人々は原子炉の安全性について非常に深く議論を進めていたということでした。
その6名のメンバーを「熊取6人衆」と呼んだそうですが、瀬尾さんもその一人でした。しかし残念ながらこの本執筆からほどなくしてガンで亡くなられたということです。

瀬尾さんの文では、エネルギーの収支という観点から原子力発電を考えるという、当時の自分にはまったく考えの及ばなかった議論をされており、原発とは「借金と大博打」という極めて核心を突いた表現をされています。
さらに、大事故の被害は国家予算の2倍に上るだろうと、これも今となっては極めて正確な予測をされています。

科学技術全盛と言われていますが、これもエネルギーの浪費という裏側があるという、現在の自分の思考の基がここにあったのかと思わせるような意見が書かれています。
原発は大砲でハエを殺そうとするような技術だと言い当てています。

さらに、現代の食卓に載っているのは「太陽のめぐみ」ではなく「石油の塊」であるとの表現も秀逸でしょう。

いまさらながらですが、早世されたというのが非常に残念な方だったと思います。