爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「司馬遼太郎の歴史観 その”朝鮮観”と”明治栄光論”を問う」中塚明著

歴史学者で奈良女子大名誉教授の中塚さんが、表題の通り司馬遼太郎の「坂の上の雲」などの作品に表れる”明治栄光論”について論じたものです。

司馬遼太郎は昭和に入っての軍部のリードによる戦争突入の歴史については激しく批判しています。しかし、それ以前については特に日露戦争より前、すなわち明治時代の大半は肯定的に捉えています。
明治期の日本は「少年の国」であり、「武士の倫理が機能していた」と説き、それが日露戦争以降変質してしまったという判断です。
それが現代日本の特定の層に支持され喧伝されているというのが著者の主張です。
しかし、日露戦争以前の日本政府も軍隊もまったくそのようなものではなかったということを証拠の記録を示して論破しています。

また、司馬遼太郎はその後の「街道を行く」のシリーズの中で韓国紀行という編もあり、取材に行ったはずでもあり、また韓国人の知人も多いようですが、そこから得られたはずの知識がまったく見えてこないようです。
朝鮮については古代については語っているものの、近代から現代に関しては日本で伝統的な見方である「李朝的停滞」と言う概念しか持っていないようです。

日露戦争以降の変質というなら、日清戦争の時にはまだ明治の矜持を持った戦争であったはずですが、そんなものではなかったというのが、朝鮮王宮の占拠、東学党の革命軍の鎮圧と虐殺、皇后殺害の事件で示されています。
いずれも朝鮮王朝を脅し清朝相手の戦争の大義名分つくりのために必要だったことです。
そのような数々の事例に目をつぶり日露戦争までは云々という司馬の認識の間違いは大きいと言うものです。