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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「資源制約はどこに現れるか 自動車の場合」

エネルギー文明論

自動車などの交通手段での資源制約はもちろん燃料が一番早く表れるだろうと思っていましたが、どうもそれよりも早く他の資源で欠乏が起こるのかもと考えるようになりました。

いずれは石油資源の高騰で自動車への使用が難しくなるとは考えていますが、近い将来まではそういった事態には至らないのではと思います。
しかし、それを見越した交通手段検討の動きとしては水素燃料電池車と電気駆動車の開発が進められています。すでに引用しているように「環境問題を考える」などのサイトでも議論されており水素燃料電池はほとんど使い物にならず、充電池を使った電気駆動車の方が実現性が高いものという意見が多いようにも思います。

しかし、気になるところはそのような動きが加速されて従来の石油系燃料使用の内燃機関自動車がすべて置き換わった時にはなんらかの資源制約が起こるのではないかという可能性です。
現行の自動車はバッテリーや電気制御関係で若干の銅や鉛、ニッケルなどの金属を使いますが、ほとんどは鉄とプラスチックで作られています。燃料として用いる石油由来のガソリン・軽油などがもっとも供給が危惧される資源となります。
一方、蓄電池が主たる電源となる自動車となるとこれまでのバッテリーとは比べ物にならないほどの電気関係の資源が必要となります。しかも自動車の数は現在日本だけでも8000万台であり、そのすべてが蓄電池を搭載するようになったらそれに要する資源量も相当なものになるでしょう。
蓄電池の種類としては鉛、ニッケル、リチウムなどがあるようですがどれが本命になるかはまだ分かりません。リチウムの場合ではリチウム自体は地球上での存在量は多いものの、現在はリチウムとコバルトの化合物が使われているようで、もちろんコバルトは資源供給の制約が大きいでしょうから違う元素を使う方向で研究されているでしょう。

ただし、もしも蓄電池搭載の電気自動車が主流となるような状況では一般の電力使用の場合にも蓄電池が必要となるような事態にもなるかもしれません。そうなると自動車8000万台以外にも多数の蓄電池が必要となる可能性もあるわけで、資源供給の可否は考えておくことが必要です。

しかし、もしも蓄電池自動車ばかりが走り回るとすると、充電が可能かどうかも問題となるかもしれません。そのような時代には今のように夜間電力が安いなどということが続けられるはずもなく、下手をすると夜間の方が充電用の電力が必要となって供給増が求められるという事態もありえるかと思います。

現在の自動車依存社会というものは、これほどまでに大きな資源を消費しており、それが経済の膨大な部分を占めているということは忘れてはいけないことです。どのような方向に進めていくかということは、慎重すぎるほどに様々な可能性を考えて決めるべきことでしょう。