爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

軽井沢のスキーバス事故から3年。「二度と繰り返さないで」と遺族は言っても状況は変わらない。

大学生たちを乗せたスキーバスが軽井沢で事故を起こし15人もの死者を出した事故から3年が経ちました。

遺族などが事故現場を訪れ祈る姿が報道されています。

headlines.yahoo.co.jp

 しかし、このような事故で犠牲者が出るたびに、その遺族が「二度とこのような事故を繰り返さないで」と語ることが多いのですが、その願いがなかなか通じないこともさることながら、遺族がそのように祈る事自体、やりきれなさを感じます。

 

ただし、この業者も含めて多くの事業者では相変わらずコスト切り詰めの危険運行が続いているようです。 

news.livedoor.com

発注側の旅行業者からみれば、内容はどうあれとにかく安くしなければ客が集まらない。

多少危なくても目をつぶるということなのでしょう。

 

このような事態を招いているのは、一連の「規制緩和」政策によるのは間違いないでしょう。

 

国土交通省自画自賛プロパガンダを挙げておきます。

www.mlit.go.jp

新規参入事業者が増えてサービス向上につながったとか、ではこのような業者の事故発生はどうなのでしょうか。

 

これについて取り上げている報道はほとんど見られません。

規制緩和」とは触れてはいけない神聖領域なのでしょうか。

 

規制緩和といえば、規制という名のもとに利益を得ている既得権益者の牙城を崩すといったイメージで推進されてきました。

しかし、明らかに安全も軽視してコストカットを行なう方向に進んでいるようです。

ここに手を付けずに「二度と繰り返さない」ことは不可能でしょう。

大相撲横綱稀勢の里引退

成績不振で苦しんでいた大相撲の横綱稀勢の里が引退を決めたそうです。

www.nikkei.com

先場所も今場所も、進退をかけての出場と言われた中での連敗、本人の苦悩は強かったと思いますが、やはりどうしようもなかったのでしょう。

 

2017年初場所で優勝、19年ぶりの日本出身の横綱となり、次の場所も圧倒的な強さで優勝を争ったのですが、日馬富士との一番で負傷、怪我を押しての照ノ富士との優勝決定戦で勝ち二場所連続優勝を成し遂げました。

しかし、その後は怪我が治りきらず、さらに長く欠場したための試合勘の衰えで復活はなりませんでした。

 

相撲独特の身体の酷使から、怪我や病気が多いのはある程度は仕方ないのかもしれませんが、あまりにも多すぎると感じます。

二場所目の優勝を争った照ノ富士も膝の怪我や病気で大関を陥落、その後は番付を落とし続けているようです。

 

怪我をさせないような改革ということが言われていますが、ほとんど効果もないようです。

無理な体重増加や、基礎トレーニングの不足なども挙げられるでしょうが、以前にも触れたように、土俵の構造、特に土俵の高さが不必要なほどに高いことも問題でしょう。

あそこから落下して身体を傷つけるという事例も少なくないように感じます。

 

暴力事件なども問題ですが、期待の力士が怪我をして番付降下や引退など、がっかりさせられることが多いようです。

安心して見られるような対策を望みます。

「伊勢物語 付 現代語訳」中河與一訳注

伊勢物語と言えば学校の授業でも歴史や古文で出てきたかもしれませんが、その原文と現代語訳、注釈をまとめた本です。

ただし、現代語訳と言ってもかなり古い現代語です。

1953年に角川文庫で初版発行されたもので、旧仮名遣いで書かれています。

 

「むかし、をとこありけり」でたいていの段は始まっていますが、この主人公は在原業平であることが多いと言われています。

 

第八段の、三河国八橋でかきつばたを見て、「かきつばたの五文字を句の上に据えて旅の心を読め」というくだりは、確か古文の教科書にも載っていたのではないかと思います。

これはまあ、京に残してきた妻を思い歌ったと見られることから、教科書向きかもしれませんが、その他のほとんどの段はとても教科書に載せられるようなものではないようです。

 

身分違いの皇女に言い寄ったり、家族から禁じられた交際相手を連れ出して逃げたり、まあそういったことが普通であったのかもしれませんが、その後の道徳観からは少し離れたものかもしれません。

 

初段の、「初冠した」ばかりの少年が、奈良の都の春日里の「いとなまめいたる女はらから」に歌を届けるというものも、「むかしびとはかくいちはやきみやびをなむしける」と誇らしげに書かれていることで、かえってすっきりとします。

 

まあ、現代日本人にもこのような血が脈々と流れているのでしょう。

 

伊勢物語 (1953年) (角川文庫〈第466〉)

伊勢物語 (1953年) (角川文庫〈第466〉)

 

 

JOC竹田会長の会見は危機管理の鉄則に反する

日本オリンピック委員会の竹田会長が東京オリンピック招致にあたってIOC関係者に贈賄したというフランス司法当局が捜査している件につき、当の竹田会長が記者会見を開きましたが、捜査中であることを理由として質疑応答も行わず、用意した文章を読み上げるだけという対応をしたため、かえって逆効果という指摘を受けています。

topics.smt.docomo.ne.jp

これまでも企業のコンプライアンスに関する危機管理についての本を読んでいますが、記者会見というのも重要なポイントであり、かえって逆効果と言う例も数多くあるようです。

sohujojo.hatenablog.com

どうやら、今回の竹田会長の記者会見もやるだけ逆効果と言う悪い実例になってしまったようです。

 

そもそも、当局からの捜査中であるということで情報を出さないと言うことは、追求を受けるからということを語っているようなものであり、あまり意味がないのでしょう。

 

これは他の事例でも度々見られることですので、気をつけたいものです。

 

本件のポイントは、コンサルタント料を払ったというシンガポールの会社がどのようなことをしていたかということです。

彼らがIOC委員に対しての買収を業としていたら明らかに贈賄にあたります。

そうでなければ何のコンサルタントであるかを証明しなければならないのですが、すでにその会社の関係者は雲隠れしているようです。

 

最初から胡散臭かった東京オリンピックですが、どう飾り立てるつもりでしょうか。

「詭弁論理学」野崎昭弘著

論理学とは、「思考のつながりを明らかにし、論証を過不足なく行う」ことで、中国やインド、ギリシア古代文明でもその発展が見られるほど古くから研究が重ねられてきた哲学の一分野です。

 

しかし、それと似て非なるものが「詭弁」(きべん)です。

一見論理的に見えるような議論を展開しながら、どこかで意識的に、あるいは無意識にごまかして持論を押し通すということが、社会の多くの場面で横行しています。

本書は数学者でありながら数理論理にも関心を持たれ、数々の著作も書かれている野崎さんが、「詭弁」を「論理」のごとく使うということについて分かりやすく解説されています。

野崎さんの本を最近読んだこともあり、かなり以前に読んだこの本をもう一度読み返してみました。(1976年初版発行)

sohujojo.hatenablog.com

議論というものは、これも人類の文明の初めからつきまとってきましたが、論理的に展開されることが望ましいものの、そこには様々な場面が見られました。

本書の最初には、詭弁にもならない「強弁」が取り上げられています。

 

強弁を操る人々には、小児型強弁と言われるような、意識せずに使いこなす強者?も居ますが、はっきりと自覚しながら強弁を押し通す輩も数多く存在します。

社会的強者にこういった人物が多いのも当然といえば当然ですが、困ったものです。

 

詭弁というものも、強弁と同様に歴史の始まった頃から人間社会に出現していましたが、強弁よりはちょっとは頭を使ったもののようです。

ギリシアでは、ソクラテスアリストテレスなど、言論を武器にして真理を追求する哲学者が輩出しましたが、その中には弁論にのみ長けたソフィストと呼ばれる人たちも出現してきました。

そういったソフィストと、詭弁論者とは紙一重です。

中国でも諸子百家の時代に詭弁の隆盛を見ることができます。

公孫龍の「白馬は馬ではない」といった事例にもそれが現れています。

 

その手法としては、論点のすり替え、それも上手にはぐらかすという芸があります。

また、主張の言い換え、部分より全体に及ぼす誤り、逆に全体より部分に及ぼす誤りといった手法もあります。

三段論法の援用、消去法の失敗といったものも使いみちが多そうです。

 

まあ、実用として詭弁を使うというのはお薦めできませんが、論理パズルとして考えてみることは論理の練習にもなり、頭を柔らかくできる効用もありそうです。

理髪師のパラドックス、死刑囚のパラドックスといった著名なパズルも解説してあります。

 

まあ、詭弁を多用しては人物の評判にも関わるかもしれませんが、パズルとして考えるだけなら勉強になりそうです。

 

詭弁論理学 (中公新書 (448))

詭弁論理学 (中公新書 (448))

 

 

 

運動会の組体操が危険だとして、国連の「子どもの権利条約」委員会で審査、って国辱物じゃないの

小学校で主に行われている運動会での「組体操」では毎年多くの事故が起きていますが、その状況が問題だとして国連の「子どもの権利条約」委員会で審査対象とされるということです。

headlines.yahoo.co.jp

この事自体、非常に恥ずかしい話であると感じます。

 

一方で、遊具は少しでも事故があればあっという間に同種の遊具は撤去されるようです。

その差はどこにあるのか。

 

このように危険な組体操がなぜやめられないのかという記事も出ています。

joshi-spa.jp

保護者からは「止めるように言っても学校が止めさせない」という意見が出て、また教員からは「保護者が止めたがらない」とも言われているようです。

 

上記記事には、実際は特にやらせたがる「地域」と言う名の連中が居るからだということです。

おそらく、地域の有力者や保護者の中でも強い意見を持つ人たちでしょう。

 

日本というのは国連の力を借りなければ改革も進まない程度の「民主社会」なんでしょう。

「英国メイドの日常」村上リコ著

メイド喫茶」なるものが、とある場所では流行っているようで、黒いドレスに白いエプロンを着け、白い帽子をかぶった女性が出没するようです。

 

このスタイルのメイドなるものは、実は100年ちょっと前にイギリスで活躍していました。

他人の家の家事を行なう使用人というものは、イギリスでも中世には男性がほとんどでした。

しかし、徐々に女性に入れ替わっていき、19世紀にはほとんどが女性となってしまったそうです。

また、メイドを雇う「ご主人様」も、中世には貴族や地主といった上流階級だけだったのですが、これも産業革命中流階級が増えてくると彼らもメイドを雇おうという意欲を見せるようになります。

 

この本では、19世紀から20世紀にかけて、イギリス(といってもイングランドウェールズ)で合計130万人に達したという、一般家庭の屋内の家事労働に従事していたメイドと呼ばれる女性たちの日常生活について、様々な角度から描いています。

 

イギリスでは強い階級社会制度が維持されているということは有名ですが、19世紀には上流階級、労働者階級の他に中間的な中流階級と呼ばれる人々も増加しました。

メイドの雇い主は上流階級と中流階級、メイドになる女性たちは労働者階級の出身でした。

 

本当の上流階級では、一軒に数十人から数百人のメイドと男性使用人が働いており、細かく仕事を分けてそれぞれ専門のメイドを働かせていました。

キッチンではコックの指揮のもと、キッチンメイド、スカラリーメイドが。

掃除などはハウスキーパーがハウスメイドを使い、その他酪農室ではデイリーメイド、洗濯室ではランドリーメイドが働いていました。

しかし、中流階級ではひどいところでは一軒に一人だけのメイドを雇うというところもあり、そんな場所ではすべての仕事を担当しなければならなかったそうです。

 

メイドの制服というのも、あるイメージができているようですが、あのような黒と白のドレスは「午後用ドレス」であったようです。

多くは黒が主流だったのですが、家の好みによっては濃いグレーやブルーを採用されていました。

素材はウールや夏はコットン。エプロンにはフリルやレースが使われ華やかなものでした。

ただし、「午前のドレス」はこれとは違い、ピンクや模様の入ったプリント生地のものであったようです。

メイドたちにはこれはあまり評判がよくなかったとか。

 

なお、メイドのドレスも上流家庭ではお揃いのものを支給する場合もありましたが、中流家庭では自前ということが多かったようで、その負担も厳しかったそうです。

 

メイドでも下働きの女性たちは若いうちに結婚相手を見つけて辞めていって回転しましたが、専門職の使用人たちは独身のまま年を取るまで務める場合もあったようです。

下働きのメイドたちが男友達を連れ込んだり、抜け出して密会したりという事件もよくあったようです。

 

あんなに多くの女性がメイドとして活躍していたのが嘘のように、第2次大戦の頃にはごく上流の家庭以外ではメイドなる存在は無くなっていきました。

今では日本の「メイド喫茶」だけなのでしょうか。

 

図説 英国メイドの日常 (ふくろうの本/世界の文化)

図説 英国メイドの日常 (ふくろうの本/世界の文化)