爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

八代市立博物館夏季特別展「なるほど!紙づくりの世界」見てきました。

kumanichi.com金曜日から開かれている、八代市立博物館未来の森ミュージアムの夏季特別展「なるほど!紙づくりの世界」を見てきました。

 

八代は江戸時代から手漉き和紙の産地で、肥後細川藩の御用もつとめていました。

「宮地和紙」として今でも続けられています。

また、明治以降には製紙工場での機械漉きも始められ、現在でも日本製紙の工場が操業を続けています。

 

今回の展示会では、手漉き和紙、機械漉き工場の両方の歴史をたどれるように、様々な資料を展示してあります。

 

休日とはいえ、朝の開館すぐに行ったためか、他には見学者が2人だけと少々寂しいものでしたが、お近くの方は是非どうぞ。

 

なお、別の展示室では、明治以降の「千代紙」の紹介もされていました。

様々な絵や幾何学模様のとてもきれいなものでした。

芸術とは言えないこのようなものに、文化というものを感じました。

「現代社会はどこに向かうか 高原の見晴らしを切り開くこと」見田宗介著

「はじめに」の最初から明確な人類の歴史の認識が示され、引き込まれていきます。

 

現代社会は、人間の歴史の中の、巨大な曲がり角にある。

 

まさに、その通りでしょう。

 

ギリシャで哲学が生まれ、仏教や儒教が生まれ、キリスト教の基になる古代ユダヤ教のめざましい展開のあった「軸の時代」が人間の歴史の第一の巨大な曲がり角であった。

その「軸」を中心にして貨幣経済と都市の原理が浸透し、無限に発展するかのような「近代」という原理で進展し続け、グローバリゼーションという事実によってここに初めて「地球という惑星の〈有限性〉と出会った」からです。

 

日本人の意識を長く調査し続けているものに、NHK放送文化研究所の「日本人の意識調査」というものがあり、1973年以降5年毎にデータを残しています。

世代というものをおおまかに15年ごとに捉え、「戦争世代」「団塊世代」といったものとして意識の在り方を分析しています。

すると、戦争世代から第1次戦後世代、団塊世代まではそれぞれの世代の意識というものは大きく異なっているのですが、その後は徐々に接近していき、団塊ジュニア世代以降はほとんど意識が重なっているということです。

これは、今までの「歴史は加速度的に進展する」という認識が変わってきていることを意識の上からも示しています。

 

1960年代までは、地球の人口爆発が大きな問題とされてきました。

しかし、前世紀末には先進国では少子化が問題となり、いまだに途上国では人口増加が止まらないというイメージがありますが、実際は人口増加率はすでに急速に低下しています。

生物学者が「ロジスティック曲線」と呼ぶS字型の曲線がありますが、理論より先に人類はすでにその曲線に沿った動きを示しているようです。

 

近代の最後の表れとしてグローバルシステムの爆発的成長というものが起きていますが、それはいつまでも成長が続く無限性を追求するものでした。

しかし、そのさなかに、地球の有限性を立証してしまいました。

情報化という、無限に増殖するかのような虚構のなかで、地球自体は有限であることが明らかになってしまいました。

 

もはや、これ以上の物質的成長は不要なものとして完了し、この後どうなるかの見晴らしを切り開くこと。

それが今後の人類の生き方を指し示すことです。

 

成長の完了した世界というのは、経済成長に取り憑かれた人々にとっては「停滞した魅力の少ない世界」のように見えるかもしれません。

しかし、経済成長の脅迫から解放された人類は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な創造と、友情と愛と子供たちとの交歓と、自然との交換の感動を追求し続けるだろう。と続けています。

「天国」や「極楽」には経済成長はありません。

 

この次に、日本に加えヨーロッパとアメリカの特に若者の意識調査の結果が論じられています。

特にヨーロッパにおいては現状満足と幸福感の上昇というものが見られていました。

日本においても、幸福感は少ないものの現状には満足しているようです。

ただし、近年とくに移民の増加とテロの恐怖が増大しており、それが政治へも影響を増しているのは間違いありません。

大きなテロ事件のあとでは、ヨーロッパでも若者の幸福感の数値は低下したようです。

 

転換期を迎えた人類文明ですが、その先にあると思われた20世紀型の革命は大きく挫折し崩壊しました。

しかし、それは決して「資本主義の勝利」などと呼べるものではなく、崩壊の時期を早めただけのようです。

その先に何があるのか、自らで作っていかなければならないもののようです。

 

 ロジスティック曲線というものに、見田さんは社会学的な意味を見出したようで、本書後半に独自の章を設けてさらに論じています。

実は私もかつては生物学者のはしくれ(端の端)でしたので、おなじみのものでした。

それが人類文明にも当てはまるということは、ようやくながら実感できているところです。

 

「左派系新聞」なんて日本にあるの。

よく読んでいるある方のブログは、いつも大変参考にさせていただいていますが、そこに引用された評論家の記事で気になることがありました。

 

鈴置高史さんという方が書かれた、韓国に対する半導体関連品の輸出規制強化についての文章です。

デイリー新潮というサイトですから、新潮社のところでしょうか。

headlines.yahoo.co.jp

まあ、半導体企業の事情など色々な専門知識があるところでしょうから、それを知っておくことは必須でしょう。

 

その内容はともかく、文中に「韓国紙の日本語版や、日本の左派系紙を読んでそう思っている人が多い」という鈴置氏の言葉がありました。

 

ここで、アレッと思ってしまいました。

「日本に左派系紙」なんてあったっけ。

 

読み進めていくと、どうやら「毎日」「東京」「朝日」といった新聞を「左派系紙」と呼んでいるようです。

 

こんなのが左派系とは。

 

野球の守備位置で言うと、センターよりはだいぶライトよりかと思います。

ここに、「左翼手」(レフト)がいる。

中堅手」(センター)はもうライトのファウルグランド寸前。

右翼手」(ライト)などはファウルグランドも通り過ぎてスタンド中段に居るようなものかと。サンケイ、ヨミウリはもう場外か。

 

まあ、言っていることはかなりまともなことのようですが、その言葉だけで引っかかります。

参院選熊本選挙区の候補者B氏のあまりにも非常識な水俣病認識

まあ色々ある参院選で、ほとんど興味も薄れかけているもののなんとか気持ちを奮い立たせているのですが、嫌気がさしてくるのは度々です。

 

熊本選挙区は定数1に、自民党の現職B氏、野党推薦のA氏、それにNHK反対派という諸派のS氏の3人が出馬していますが、もうほとんどB氏再選に確定という雰囲気です。

 

しかし、さすがに地元の熊本日日新聞社は飽きもせずに候補者の意見を丹念に聞いて、無駄とも思わずに報道しています。

 

本日掲載の候補者アンケートには驚きました。

(当該記事をネットから見つけようとしているのですが、どうも分かりづらくて見当たりません)

仕方ないのでその概要を載せるだけにします。

 

一応、候補者三人に同じ質問をぶつけてその回答を載せているものです。

 

今日の質問には「水俣病の今の課題は」という項目がありました。

これに対し、野党候補のA氏は「認定基準が問題。広く救済する仕組みが必要」という極めて当然の答えでした。

(なお、S氏は「知識不足で分かりません」というこれはこれで正直な答え)

 

ところが自民党候補のB氏は、「地域資源を活用した地方創生」などと水俣病の「ミ」の字も出ない答えです。

この候補は、他のところでも「中央直結で地域創生」ということしか言わない旧態依然の態度で、ほとんど真面目に考えているとも見えないのですが、まさか水俣病についてもこのようなことを言うとは思いませんでした。

 

それでも、この候補が当選するのでしょうし、水俣地域でも圧倒的に票を集めるのでしょう。

ますます嫌になる。比例区だけに希望をつなぎましょうか。

「教科書が載せられない名文」棚橋正博著

江戸時代には本というものが庶民にまで広く普及しました。

彼らがもっとも興味を示したのは、硬い内容のものではなく、笑いあり色恋ありといったものでした。

特に、色事に関わるものは多くの人に愛好されました。

それを書く側も教養ある人々であることが多かったようです。

 

この本では、そういった文の例を初期の井原西鶴、そして変換点となった平賀源内、さらに大きく普及していった大田南畝、さらに山東京伝などの作品から紹介しています。

音読ははばかられるような無いようなのですが、おそらく今の人たちは聞いても何のことか分からないでしょう。

 

17世紀半ばから、町人が社会を動かすようになり文化もルネッサンスと言っても良いような勢いを示し、芭蕉西鶴近松といった巨匠を生み出しました。

とりわけ、井原西鶴のエロスを伴う市井のスケッチは新鮮でした。

 

好色一代男」より

菖蒲葺き重ぬる軒のつま、見越しの柳茂りて木の下闇の夕間暮れ、砌に篠竹の人除けに笹谷縞の帷子、女の隠し道具を掛け捨てながら、菖蒲湯をかかるよしして、中居ぐらゐの女房、我より外には松の声、もし聞かば壁に耳、見る人はあらじと、流れ蓮根の痕をも恥じぬ臍のあたりの垢かき流しなおそれよりそこらも糠袋に乱れてかきわたる湯玉油ぎりてなん。

と書いても何のことかは分からないでしょう。

 

大田南畝は、漢詩の知識も豊富であったために、それのパロディを作りました。

唐詩選の盧綸の詩をもじり、以下のようなものを書いていますが、やは直接的に過ぎ品がないようです。

陳戈射が臍下の曲を和す

色黒うして雁至って高し

全体、長く心労す

芋茎を取って巻かんと欲すれば

大水陰毛に満つ

 

やはり、庶民のもっとも興味を持つのはこういった分野なのでしょう。

 

教科書が載せられない名文―江戸時代の再発見

教科書が載せられない名文―江戸時代の再発見

 

 

「内田樹の研究室」より「『そのうちなんとかなるだろう』あとがき」

内田樹さんが近々出版される、「そのうちなんとかなるだろう」という本のあとがきについて書かれています。

blog.tatsuru.com

そこではなんと、「自叙伝」のようなものを書いているそうです。

 

「あんたら若い人は知らんじゃろうが、昔の日本ではのう・・・」と遠い目をして思い出話を語る古老

のようなスタンスで書いても良いだろうということですが、内田さんも68歳、また読者はかなり若い層を想定しているようですので、まあそれで良いのでしょう。

 

1960年代の中高生が、どのように考えどのように生きていたか。

同世代の作家たち(村上春樹橋本治関川夏央浅田次郎などのみなさん)がその作品の中で色々と書かれていますが、それらは「フィクションとしての磨きがかかっている」ので、実際のもっと泥臭く、カオティックで、支離滅裂な青春を書いてみようということです。

 

良いですね。この抑えた書き方。

「フィクションとしての磨き」なんていうことは、やはりなかなか書けません。

私なら、「アイツラの書いているのはカッコつけのウソばっか」とでも言いそうです。

 

その後の細部については、ここでは書かれていませんが、最後まで書いて読み直してみて、「自分の人生には『人生の分岐点』がまるで無かった」と感じたそうです。

 

これは、もちろんどこかの大学の入試に受かったとか落ちたとか、就職を別のしたとかいうだけの意味ではなく、そのどちらに行っても大して違ったことにはならなかっただろうということです。

 

それだけ、ご自分の生活というものが自分の意志と好みによってきっちりと決めてきたからということなのでしょう。

どの道を取っても、今の自分と同じような自分であったろうということですので、立派なことだと思います。

 

と、内田さんの人生を称賛しておいて、自分の人生(内田さんより少し年下ですが)を思ってみると、実は「私も分岐点で別の人生を歩いていても、今と大して変わらなかっただろう」と思えるのです。

確かに、暮らす町、家族、経済状態は大きく違っていただろうが、基本的には同じようなことをしていたと感じます。

別に、自画自賛ではないのですが。

 

 

7pay事件に現れるキャッシュレス志向の危険性

7payの幼稚な安全対策が開始早々に破綻した件につき、経済学者の宿輪純一さんが、現代ismediaというサイトで解説を掲載していました。

gendai.ismedia.jp7payのセキュリティーシステムが考えられないほど甘かったということは、多くの人々が指摘していますが、その裏にはキャッシュレス化を進める日本政府の事情もあるようです。

 

記事の最初は、7payのあまりにもお粗末なシステム(2段階認証がない、生年月日とメールアドレスなどを入力するだけでパスワード変更が可能)の解説から入っていますが、先日起きた「ペイペイ」の事件も同様のお粗末さで、暗証が3桁、それを何度間違えてもブロックされないというものだったそうです。

 

この根底には、こういった「なんとかペイ」というものが、実は「金融」ではなく商品やサービスと言ったものを扱うビジネスの範疇だということがあります。

 

そして、そこには官庁の監督権限の問題がありました。(やはり)

 

政府が推し進めようとしているキャッシュレス化には、次の項目があります。

キャッシュレス戦略の対象は、電子マネー(前払=金融庁所管)、デビットカード(即時払=金融庁所管)、クレジットカード(後払=経済産業省所管)である。

デビットカードというのは今では規模も極めて少なく、電子マネーも特に交通系には一回2万円までという制限がありこれ以上の進展が望めないものです。

とすれば、政府の狙いはやはりクレジットカードの拡大にあり、それは経産省の所管分野の拡大にあるようです。

 

 クレジットカード拡大といっても、そこでの媒体はスマホということになるのでしょうが、スマホはすでにネットとカメラ機能が進んでおり、それと連携した操作になります。

ところが、これまでのように銀行などの金融業界がITを取り込んでいくのと異なり、IT業界が金融に進出してくるということになりました。

金融の基礎として「善と悪との判断」と「顧客の保護」があります。(すべての金融マンが履行しているとは言いませんが)

しかし、どうやらIT業界というのはその辺の認識に相当甘さがあるようです。

 

中国ではキャッシュレス化が相当進んでいるとか、アジア・アフリカでも進んでいると、「日本だけが」という論調がありますが、これはそういった国々の金融の状態が極めて悪く、銀行すらほとんど無いからだとも言えます。

全国民が銀行口座を持ち、ほとんど銀行決済で済ませられるものをなぜQRコードの読み取りなどというものに変えなければならないのか。

(宿輪さんは、これはごく短時間とは言え余計に時間がかかると言っています)

 

これで喜ぶのは観光客だけではないか。

どうやら、極めておかしな方向に進んでいるようです。