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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「福島原発事故はなぜ起こったか 政府事故調核心解説」畑村洋太郎・安部誠治・渕上正朗著

著者の御三方は東日本大震災時の福島原発事故に関する政府事故調査委員会のメンバーとして、調査し報告した方々です。

特に畑村さんはその委員長として取りまとめた方です。

 

「おわりに」に書かれているように、政府事故調の最終報告は2012年7月23日に公表されました。

活動期間は11年6月から12年6月までのほぼ1年。その後最終報告をまとめたのですが、非常に大部となって読みづらく、また表現もこなれておらず、客観的に全部を読み終えるのが難しいものであるとは、委員本人が自覚していたそうです。

 

そのため、著者たちはこの報告書の核心部分を読みやすく出版することが必要であると感じ、本書を出版したということです。

また、報告書は政府の公文書であることから、断定や評価を差し控えた部分もあり、その点も不十分であると感じました。そこも表現を変えた部分があり、事故調報告書のダイジェストではないということです。

 

原発の事故の状況(その時点で分かっていた範囲で)

政府と地方自治体が失敗した点

東京電力の失敗、その原因となった安全文化

被害拡大した要因

福島原発の教訓をどう生かすか

といった章立てで論じられています。

 

詳述はしませんが、記憶しておくべき事項をいくつか記しておきます。

 

地震そのものの損傷は、「閉じ込め機能を損なうような損傷はない」という結論になったようです。

ただし、ある程度以下の小さな亀裂の発生の可能性は否定できないとしています。

 

電源喪失の状況について「地震で常用外部電源を失い、津波で非常用発電機が水没し、すべての交流電源を喪失した」と言われていますが、それは誤りで、「配電盤のすべてが水没し故障したこと」が一番大きな問題でした。

もしも配電盤が無事だったら生き残った5,6号機から最小限の電源が融通でき、事故は軽微なもので済んだかもしれません。

 

東京電力原子力安全委員会の主導により1992年より「アクシデントマネジメント」の推進を実施しました。

しかし、その実施は10年もの歳月を要するという鈍いもので、しかも過酷事故の原因を内因事象に限定していたために不十分なもので、自然災害などの外的事象に対する備えは考慮されていませんでした。

この形だけのアクシデントマネジメント推進で、整備は終了したと考えてしまいました。

2007年に新潟中越沖地震柏崎刈羽原発で損傷が起きてもその教訓を根本的に考えるということはしませんでした。

安全は確立されているという安全神話が過酷事故のリスクを過小評価させることになりました。

 

1993年に起きた北海道南西沖地震で、奥尻島に大きな津波被害が起き、それで日本の津波対策見直しも変わってきたのですが、電力業界も対策見直しを始めました。

しかし、その場で行われたのは、福島第1原発では従来の津波高さ3.1mと想定して対応したものを、5.7mと高くしたのみでした。

それ以上の津波が来る可能性を指摘する意見もあったのですが、結局は400年前までに起きた津波の高さに対応すれば良いということで済ませてしまいました。

 

本当は、津波評価というものは津波高さを算定するだけのものであり、どういう対策をするかということとは違うはずなのですが、高さを決めるだけで終わってしまし、防波堤のかさ上げだけに矮小化されてしまいました。

 

除染ということを、化学物質の中和のように思っている人もいるようですが、放射性物質放射能をなくすことはできません。

国や自治体は放射性物質が付着した土や植物などを全て集め、それをどこかに保管しようとしていますが、保管場所の選定も難しくうまくいかないでしょう。

その場で、火山灰を集めた「灰塚」のようなものを作ってまとめておくことが一番の対策のようです。

問題となる放射性物質はほぼセシウム137だけと言えるのですが、これは土の粒子と固く結びついてあまり移動しません。したがって、こういった土を集めて置いておいてももはや移動することもありません。

かといってあまり大量にまとめると近づくこともできないので、その場で少し高い放射線を出すものをまとめておいて、そこには近づかないという対処が現実的ということです。

 

最後の章では畑村さんが「失敗学」の専門家でもあるということから、この事故についての所感が述べられています。

1.あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる。

2.見たくないものは見えない。見たいものが見える。

3.可能な限りの想定と十分な準備をする。

4.形を作っただけでは機能しない。仕組みは作れるが目的は共有されない。

5.全ては変わるのであり、変化に柔軟に対応する。

6.危機の存在を認め、危険に正対して議論できる文化を作る。

7.自分の目で見て自分の頭で考え、判断行動することが重要であることを認識し、そのような能力を涵養することが重要である。

 

意味深いものですが、実施するのは困難なことばかりでしょう。

 

福島原発事故はなぜ起こったか 政府事故調核心解説

福島原発事故はなぜ起こったか 政府事故調核心解説

 

 

「すぐわかる戸籍の読み方・取り方・調べ方」丸山学著

本書副題は「相続手続き、家系図作りに役立つ!」です。

こういった要望が多いのでしょう。

私も相続にはほとんど関係がありませんが(遺産もわずか)家系図作りには興味があるので読んでみました。

 

なお、著者の丸山さんは行政書士で、先祖探しといった仕事も請け負っているということですので、こういった戸籍取扱には通じておられるようです。

 

実際の戸籍なども見やすい写真版で豊富に掲載されており、挿絵も有りで非常に分かりやすい実用書となっています。

 

しかし、戸籍謄本だとか抄本だとか、いろいろと取ったり使ったり、また結婚の時に作りその後家を建てた時に本籍地も移したりと、やって来た割には戸籍というものをほとんど知らなかったことには驚きです。

 

戸籍にも「現戸籍」「改製原戸籍」「除籍」の種類があり保存期間中は保存されているそうです。知らなかった。

 

明治以降、戸籍制度が始まって以来様式は数回変わりました。

明治5年式(スタート、現在では取得できない)、明治19年式(取得可能な場合もある)、明治31年式、大正4年式、現在の戸籍(家単位の戸籍から夫婦と子の単位に変更)

となっています。

明治19年式まで保存してある場合は少ないようで、それが取れれば幸運とか。

また、戦災による焼失や保存期限経過で廃棄といった場合もあり、もしも必要な場合にそういったことで失われていたら「焼失証明書」を自治体に発行してもらって原本に代えるという手段があるそうです。

 

本書最初の部分は、戸籍の取得方法、読み方といったものですが、その後は戸籍に関するあれこれの話が語られています。

 

例えば、結婚、出産、離婚、死去、相続、養子縁組等々

相続の時には被相続人の全戸籍が必要で、それを用いて親族関係図を作成し、法定相続人を明らかにし、相続順位、相続割合を決めていくんだそうですが、10年ほど前に父親が亡くなった時、そんなことやった覚えないけど、弟がやったのか。

 

再婚した場合の子供の戸籍はどうなるのか、相当面倒なことのようです。

さらに離婚した場合の子供の戸籍は親権がどうなるかに関わらず変わらないとか、子供の戸籍を変えたい場合はどうするかとか、やっかいなものです。

 

とはいえ、だから離婚を思いとどまるという人も少ないでしょうが。

 

最近問題になっている「戸籍がない子ども」の問題も触れてあります。

DVからみが多いようですが、制度で救えるものはなんとかしてもらいたいものです。

 

取れるうちに父母の戸籍など取っておこうかと思う今日このごろとなりました。

 

すぐわかる戸籍の読み方・取り方・調べ方

すぐわかる戸籍の読み方・取り方・調べ方

 

 

「新自由主義の帰結 なぜ世界経済は停滞するのか」服部茂幸著

経済学者の言うことなど皆価値が無いかのように感じていましたが、この本の著者の服部さんは福井県立大学教授で経済学博士、理論経済学がご専門というバリバリの経済学者のようです。

しかし、この本に書かれていることは多くの点で納得できるものでした。

 

本書出版は2013年、2008年のリーマンショック以降まだ回復が見られない時期です。

 

2008年まで、アメリカ経済は好調のように見られていました。

それが、新自由主義に基づく政策による経済の復活であるように思われていたのですが、それは幻想であったとしています。

新自由主義は富を1%のスーパーリッチに集中させることでした。それを経済復活と見せかける幻想に過ぎなかったのです。

 

そのような政策、すなわり金融の自由化とFRBの金融政策がバブルと金融危機を作り出しました。

 

さらに、グローバルインバランス、各国の財政収支も悪化しているのですが、それも新自由主義のもたらしたものとしています。

 

結論としては、1930年代の大恐慌が世界の政治経済に大きな傷跡を残し、資本主義を大きく変えたように、現代の経済危機は世界全体の政治経済の構図を大きく変えるだろうということです。これも世界史の転換点です。

 

 

第2次世界大戦後に成長した「戦後資本主義」は重化学工業を中心とした製造業の資本主義でした。

その製造設備は大規模にならざるを得ず、結果として大企業と大規模労働組合の時代となりました。

技術革新と大量生産化により生産性が向上し続けたために、賃金上昇もスムーズに行われました。

 

しかし、アメリカにおいて製造業が日本やドイツとの競争に敗れ、グローバリゼーションが進行した結果、そういった構造に大きな変化が起きました。

IT企業に代表される知識産業が発達したため、ジョブズゲイツのような一部の天才は巨額の報酬を稼げる一方、ほとんどの労働者は途上国労働者との賃金競争となってしまい収入は低下しました。

ITバブルは投資の過熱にもつながり、金融工学なるものの発達も起きました。

 

結局、戦後資本主義は「経営者資本主義」でもあったのですが、これが「機関投資家資本主義」に変質していきます。

 

投資重視の資本主義となると、それは「バブル依存型経済成長」につながってきます。

製造業の企業ですら、その資金を使った投資で利潤を得るようになりました。

 90年代以降、日本経済の長期停滞が続いたために日米逆転論は影をひそめ、リーマンショックまでは新自由主義経済がアメリカ経済を復活させたと一般には考えられていました。

しかし、実際はその頃のアメリカの経済成長率はデフレ日本とほとんど変わらない数字を示していました。経済成長のように見えていたのはバブルとバブルに支えられた負債に過ぎなかったのです。

2000年代前半までITバブルと住宅バブルで巨額のキャピタルゲインが生じました。そのほとんどがスーパーリッチに分配されたためにアメリカの格差は拡大しました。

 

戦後資本主義を支えていたのがケインズ経済学でした。そして機関投資家資本主義を支えるようになったのが新自由主義経済学と言うことができます。

2008年までのアメリカ経済の成長を支えたと言われたのが新自由主義経済でした。

それが何に成功したのかと言えば、富を集中させることだけでした。

日本においても新自由主義レジームが作り出したものは大衆の貧困と格差拡大でした。

スーパーリッチという連中は支出性向が低いために、そこに富と所得を集中させることは経済停滞を助けたことになります。

 

 

金融恐慌を作り出した要因に、金融の技術革新がありました。

それは、ローンの証券化CDSクレジット・デフォルト・スワップ)でした。

ローンを輪切りにして、安全なシニア、メザニンから危険なエクイティまで様々な商品として売り出しました。

エクイティは極めて危険なために市場で売却するのが難しく、結局は証券化を行った金融機関自身やその子会社の手元に残ってしまいました。それが無価値となったためにそれらの機関の一気の破綻を招きました。

 

また、そのような証券化したものを転売すると住宅ローン会社は損失を他に転嫁できることになりました。

その結果、ローンの安全性自体が軽視されるようになりました。

 

CDSも形の上では保険であっても、法律上は金融商品でした。

ある会社が破綻した時に、その会社の社債CDSを購入していた投資家は保険金を受け取ることができます。

しかし、そのCDSの保険金を支払うことが難しくなり破綻するところも出てきます。

全体としてみればその効果はマイナスとなりました。

 

 

 世界的なバブル拡大で、世界各国の間でのグローバル・インバランスも大きく拡大していきました。

2000年代では、アメリカと中国・日本の間のインバランスが拡大しました。

アメリカは輸出を越えた輸入を行うために外国からの借金を拡大させました。

この資金を出したのが東アジア諸国の政府でした。

それが自国通貨の上昇につながると輸出型経済の成長が鈍るために東アジアは自国通貨為替レート上昇を抑えるために為替介入をしてきました。

その方法は外貨を購入すること、すなわち基軸通貨であるドルを購入することです。

これが、持続不可能なほどと言われたアメリカの経常収支赤字を賄い持続させてきました。

 

インバランスはEU域内でも拡大しています。

ギリシアを始め、スペイン、イタリア、ポルトガルなどの赤字が拡大していますが、黒字国はドイツとオランダです。

 

国際的な収支不均衡を解決することは国際通貨システムには不可能なようです。

 

ギリシア財政赤字が拡大し、その国際の多くを外国が保有しています。

そのために危機に陥っていますが、実はこの構図はアメリカも全く同様です。

ギリシアを救済するために資金供給を求められているドイツなどでは、それに反対する声が非常に強いのですが、逆にアメリカを救済するためにアメリカ国債を購入している日本政府は歓迎されています。

日本政府が購入しているアメリカ国債円高になれば多額の差損を出しているにも関わらず、です。

 

 

本書の大半はアメリカの失敗を語っていました。しかし、日本もその道をたどっているようです。

アメリカの失敗を分析し、その轍を踏まないようにするべきでしょう。

 

 

 非常に素人にも分かりやすい解説でした。

規制緩和といったものが最上と唱え続けてきたのが、どういう勢力で、何を目指していたのかということが良く分かるものになっています。

 

その代わり?本書著者のお名前を検索すると、多くの批判が寄せられているのがわかります。

おそらく、敵対勢力の側が必死で攻めているところなのでしょう。誰がその側に立っているのか、分かりやすい構造になっているようです。

 

 

「〈リア充〉幻想」仲正昌樹著

著者の仲正さんは政治思想史が専門という金沢大学教授ですが、こういった現代の若者の抱えている問題についても詳しいようです。

 

リア充」というと、聞いたような気もするのですが、何度聞いてもよくわからないというのが爺さんの感想です。

 

本書は直接「リア充」を論じているものではありませんが、リア充幻想の諸相とも言える「格差社会」「モテ/非モテ」「人間力」「友達」といった各幻想について語っています。

 

なお、「リア充」とは「バーチャルではなくリアル実生活が充実している」という意味で、「金持ちで、モテて、コミュニケーション能力があり、友達もたくさんいる」という状態を示すということです。

そんなの居るのかいな。

 

この本が生まれた発端は、2008年6月に起きた「秋葉原通り魔事件」でした。

秋葉原歩行者天国にトラックで突っ込み17名の死傷者を出したのですが、その犯人Kは携帯サイト掲示板で犯行予告をしており、静岡を出発して秋葉原にたどり着くまでに30通のメッセージを書き込みながら移動しています。

その行動は異常なものと報じられましたが、実は若者が誰もがやっていることとほとんど変わらないものかもしれません。

 

 

第1章「格差社会幻想」はまだ分かる部分もあるのですが、第2章「モテ/非モテ幻想」になるとなにやら分からなくなってきます。

男性が女性にモテるかどうかということかと思ったのですが、どうもそう簡単な話でもないようです。

ネット用語の「モテ」というのは、必ずしも恋愛と直接関連しないもののようで、これは「承認」の問題だそうです。

そう言ってしまえば、実は他の多くの大人にも関係ある問題であり、例えば著者の知人である大学教員や研究者の中にも自分の研究が人に認められない「非モテ」という人々が大きなコンプレックスを持っているようです。

 

つまり、それは「疎外されている」ということであり、それならそう言ってくれよという気もしますが。

 

しかし、そういった「非モテ」の若者が「モテ」に対して抱く幻想というものは大きなものであり、さらにそれが事件の犯人の強迫観念となっていたのかもしれません。

加藤智大(本名出ちゃってます)の書き込みには「世の中のイケメンが女を独占している」という恨み言もありましたが、そもそも本人が「一人の人にモテたい」のか「不特定多数にモテたい」のかも判然としていない。(本人も分かっていない)ようです。

 

第3章「人間力」になるとさらに生々しい話なのかもしれません。

最近は小手先のハウツーではしょうがないと言わんばかりに「人間力をつけましょう」ということが良く言われており、若者たちがそれに振り回される状況になっています。

この所、大学と企業の「産学共同」という意思が高まり、結局は大学が巨大な就職予備校化してしまっています。

 

その中で、大学生が「コミュニケーション能力を持って会社の人間関係に適応する」ような「人間力」を身につければ就職にも有利というものですが、そんなものが簡単に習得できるはずもありません。

 

もしも受験地獄といっても勉強だけを問われるのであれば、落ちたとしても「受験がすべてじゃない」と自分を納得させることができましたが、「人間力がないから落ちました」ではまったく救いがありません。

 

人間力がない」=「協調性がない」とも言えますが、かつての東大生などは中高生のころから「協調性がない」と学校で言われ続けた人が多かったようです。

そこで「勉強だけはがんばろう」と奮起して合格したというのが典型的とも言えそうですが、そんな東大生は今だったらどうするんでしょう。

 

 

〈リア充〉幻想―真実があるということの思い込み

〈リア充〉幻想―真実があるということの思い込み

 

 

こういったネット用語の世界というものに、若者が皆影響を受けているということではないのでしょうが、今の若者でなくて良かったというのがおっさんの感想です。

「DVD映画で楽しむ世界史」大串夏身著

本書あとがきにある、この本を書くようになったきっかけというのが、西部劇映画「黄色いリボン」の冒頭に、第7騎兵隊全滅の報せを各地に伝えたという場面があり、「これは史実だろうか」と感じていろいろと調べだし(著者は歴史学者です)、そうこうしている間に他の歴史映画のDVDも見るようになって、すっかりハマってしまったということです。

 

それにしても、神話の時代から第2次大戦までの歴史を舞台とした映画は数知れないほどありますが、この本にも数百本のものが紹介されており、そのすべてをご覧になったそうです。

 

それだけやれば本を書いても不思議ではないか。

 

しかもその紹介文が、歴史学者らしく歴史の史実だけを書いていくと言うものにとどまらず、出演俳優やサウンドトラック音楽についても滔々と語っているという、本当に映画好きが書いているような文章になっています。

 

ただし、惜しむらくはあまりにもその対象となる映画が多すぎて一つ一つの紹介は長くて2ページ、短ければ数行というもので、どれか一つに思い入れがあるという人には物足らないものかもしれません。

 

 

なお、本書に取り上げた映画の基準としては、DVD化されて手元に持っているもの(すべてご購入されたそうです)であり、入手できなかったものは紹介していません。

 

また、日本のものは含まれていません。

 

 

それでは、実際にどのように描かれているか例を挙げてみましょう。

 

ベン・ハー

 ローマとその支配地を舞台とした映画は次のものがある。史実とどの程度一致するか疑わしい。 と、歴史学者らしく書き始めています。

 

 戦車競走で圧倒的な迫力で有名なのは「ベン・ハー」(1959年アメリカ、原題Ben-Hur) 212分の上映時間が短く感じる。アカデミー賞11部門を独占受賞したのもうなずける。

 原作はルー・ウォレスのベストセラー小説だった。

 

 簡潔ですが、必要項目は漏らさず記述されています。

 

 

エル・シド

 (1043?ー99、本名ロドリゴ・ディアス・デ・ビパール)はスペインの国土回復運動(レコンキスタ)の英雄。

 映画「エル・シド」(1961年アメリカ、原題ElCid)はこの英雄エル・シドをえがいたものである。「エル・シド」(あるいはエル・ジッド)は主君、指揮官、司令官の意味である。

(この後、歴史的背景の説明)

 映画ではエル・シドチャールトン・ヘストンがさっそうと演じている

 シメンをソフィア・ローレンが演じている。ソフィア・ローレンの大きな眼は圧倒的な迫力で迫ってくる。存在感はヘストンよりローレンのほうがあるといっていい。

 

 個人的な感想ながら、実際に見たという感覚がきちんと記されています。

 

なかなかおもしろい内容のものでした。

 

DVD映画で楽しむ世界史

DVD映画で楽しむ世界史

 

 

出身地鑑定 方言チャート アップデート

東京女子大の篠崎晃一教授と篠崎ゼミの皆さんが作られた「出身地鑑定 方言チャート」がパワーアップされたそうです。

 

office.twcu.ac.jp

各地の方言特有の語彙を拾い上げ、地域差の大きいものを配置して絞り込むという手法で出身地(3歳ごろから14歳まで住んでいた地域)を当てるというものです。

 

アクセントは考慮していないようですが、まあそこまでは再現できないでしょうか。

 

 

私は両親は長野南部出身、3歳から7歳まで名古屋、その後10歳まで福岡、その後12歳まで東京、その後大学卒業まで神奈川湘南という渡り鳥生活を送りましたので、どういう結果になるのかと思ったら、「長野南部」でしょうと結果が出てしまいました。

 

まあ、納得かも。

 

伝統的な方言はかなり崩れているのでしょうが、新たな方言というものも生まれるということもあるようです。

熊本に住んでいると、かつての老人の方言と、現在の若者の方言はかなり違うということも感じています。

調べていくと面白いものなんでしょうね。

 

「無責任の連鎖 耐震偽装事件」産経新聞社会部取材班

耐震偽装事件」というものが大きく報道されていた時代からすでに10年以上経ちました。

 

姉歯」「ヒューザー」「木村建設」などという言葉が飛び交っていたのがつい最近のようにも思えます。

 

特に、当地は木村建設の本社があったところでもあり、その報道は興味をひくものでした。

(ただし、木村建設はほとんど熊本県内での建設はしておらず、特に八代市内では仕事ができなかったようで実害はあったという話はありませんでした)

 

この本はその事件がまだ大きく動いていた2006年に出版されたものです。

産経新聞があれこれと取材したものをまとめて本にしたものですが、どこまでが独自のものかは分かりません。

 

 

耐震偽装が発覚したのは2005年でした。

建設デベロッパーのヒューザーが建設したマンションやホテルの建物の構造計算が一級建築士姉歯秀次により偽装され、耐震性能が基準よりはるかに低いということが明らかになりました。

民間指定確認検査機関の「イーホームズ」がその情報を入手したのですが、それまでに何十件もの建物の建築確認を(まともな審査もせずに)通してしまっていました。

ヒューザー社長の小嶋進はそれが明らかになってもすぐには公表せずにマンションを売り続けていたことで後に問題を大きくします。

 

小嶋はその責任も取らないままに国交省に支援を要請、そこに政治家も絡めることでさらに問題を大きくしていきます。

その主張では「ヒューザーも被害者だ」ということを言っていたのですが、そうではないことはその後明らかになります。

 

11月17日に国交省で記者会見により発表、震度5で倒壊の恐れありということで世間では大きな衝撃となります。

その時点ではまだ20棟程度ということでしたが、その後その数も膨れ上がっていきます。

 

しかし、その発表でも国の責任というものは否定しておりあくまでも民間の不正というもののように表現していました。

 

その物件がどのマンションかということも最初ははっきりせず、居住者たちの不安が高まったのですが、徐々に明らかになっていきすでに数百戸の家族が居住していることがわかり、ヒューザーは補償を明言しますがその実態はまったくお粗末であったこともすぐに判明します。

さらに、ビジネスホテルも数多く手がけられており、中小の地方業者が建てた場合なども多かったことが分かりました。

 

マンション居住者などの、明日にでも地震が起きれば倒壊するという恐怖から、すぐにでも退去したいという希望が多かったのですが、それに対する費用補償も不可能であることが分かり、公的支援の可能性も論議されることとなります。

しかし、民間同士の事件とされてきたために公的支援には国も自治体も及び腰となり、ここも揉めることになります。

政治家の数々の「問題発言」が相次ぎ、それに対する世論の反発もあるものの、一方では私有財産の補償に税金を投入することに対する反発意見もあり、難航しますが、当時の国交大臣の公明党北側一雄が強力に支援案を主張し実現することとなりました。

 

ただし、ここでも救済されたのはマンション住民にとどまり、ビジネスホテル事業者には届かなかったそうです。

 

 

その後、政治家の関係なども問題視されたために国会での参考人質疑、証人喚問が行われ、この事件の構造が徐々に明らかになっていきます。

 

姉歯」の個人的犯罪に止めようという思惑とは異なり、実際はヒューザーが大きく関わっていたのですが、さらに建築コンサルタントであった「総合経営研究所」の内河健という人物がクローズアップされていきます。

実は内河が主導し、木村建設姉歯を巻き込んでいったのではないかという疑惑が大きくなっていきました。

木村建設はその後、総研のあまりにも過大なコンサル料要求を忌避して徐々に離れていき、ヒューザーと組んで建設業をすすめるという流れになったのですが、耐震設計軽視の元は総研にあったのかもしれません。

 

しかし、その後「偽メール事件」の発覚で民主党の追求が弱まるということになってしまいました。

本書の記述はここまでとなっています。

 

 

その後の顛末を調べた所、姉歯建築基準法違反で実刑判決、木村建設社長は詐欺罪で有罪ただし執行猶予、ヒューザー小嶋社長は詐欺罪で執行猶予判決、そしてイーホームズ社長は別件で有罪ということになりました。

 

大きな責任は中途半端な民営化推進でほとんど機能しない民間の建設確認を制度化した国にありそうですが、そちらにはまったく触れられておらず、また総合経営研究所の関与も明らかにされていないままだったようです。

 

被害者の方たちのその後はどうなったのか、気になるところではあります。

 

無責任の連鎖 耐震偽装事件 (産経新聞社の本)

無責任の連鎖 耐震偽装事件 (産経新聞社の本)