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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

八代城跡の桜の花の状況

3月18日に見に行った時の状況はブログに写真入で書きました。

それから10日たち、どうなったかと思って今日見に行きました。

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前回はまだほとんどピンク色も見えず硬いままだったのですが、ようやく先の方には色が見えてきました。

しかし、まだまだ開花とまでは行かないようで開いた花は見られませんでした。

 

本日も朝はかなり冷え込んだものの昼になって相当気温は上がってきました。

このまま暖かい日が続けばあと数日で開くのでしょうが、天気予報ではまだ冷える日がありそうです。

 

しかし、こんな状況でも屋台の露天商がすでに店を出しています。

さすがに営業はしていませんが。

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まだ花見には1週間以上ありそうですが、こういった場所の営業許可も日付で決めて出さなきゃいけないんでしょうね。

満開時期は完全に外れてしまいそうです。

「裸体人類学 裸族からみた西欧文化」和田正平著

読書記録 科学全般

昔の「南洋」を描いた漫画や小説などには、腰ミノを着けただけの「土人」(昔はそう言ってたんです。お許しを)が出てくるというものでしたが、いつからかそういった描写はできなくなりました。

 

しかし、熱帯地方を中心としてかつてはほとんど衣服を身に付けない「裸族」と呼ばれる人が広く存在していたのは事実です。

 

考えてみると、原始人という言葉でイメージする古代の人々は毛皮などで身を包んでいたというように思いますが、それもさらに遡れば何も衣服を着けていなかっただろうということは当然のことでしょう。

 

本書では、文化人類学の研究者である著者が、豊富な熱帯地方での調査経験などを通して「裸族」の人々の風習、考え方というものを紹介し、さらにほとんど肌を見せようとしないのが伝統である西欧文化、イスラム文化というものをそれとの対比で語っています。

 

冒頭に語られているように、600万年以上前に他のサルとは離れて進化しだした人には最初は豊富な体毛に覆われていたはずです。

しかし、その後徐々に体毛が薄くなっていき、おそらくネアンデルタール人となる頃にはほとんど失われた「裸のサル」になっていました。

それでも発祥の地のアフリカ付近だけであれば裸でも暮らしていけたものが、世界各地に広がっていったために非常に低い気温の中でも生活しなければならなくなり、動物の毛皮などで体を覆うという生活に入り、衣服を発明していったのでしょう。

 

しかし、アフリカに残った人々や、その後南米や南アジアなどに移って行った人々にはその必要はありませんでした。そのために各地に衣服をまとう習慣を身に付けないままの人々が残ったということになります。

 

西欧人が活発に世界中に広がっていき、各地に入り込んでその記録を残すようになった時代には、熱帯各地にはほとんど衣服を着けない人々が住んでいることが知られるようになりました。

しかし、植民地化を進めるなどして西欧文化が広がるようになると現地の人々にも衣服を着ける風習が広がり、裸体というものを野蛮の象徴としてみるようになります。

そのため各地でも交通の便が悪く人々が近づけないところだけに昔ながらの裸体文化を守る人々が残るようになりました。

さらに奥地まで西欧人などが入り込むようになり、現代ではほとんどの地域で衣服を使うようになってしまったようですが、所々にはかつての名残を残しているようです。

 

 

アフリカ中部の熱帯地方には「パレオ・ニグリティック文化圏」と呼ばれる文化があったと言われます。

パレオとは「古」や「原」を意味しますので、古代ニグロ人種の文化ということですが、その後のキリスト教の宣教やイスラム教徒の侵入によってそれらの文化は大きく損なわれてしまいました。

それでもわずかに残されたものから研究されており、それらの特徴は次のようなものです。

裸体であるが、ふんどしや陰部覆いをすることがある。

割礼はしない。抜歯、瘢痕の慣習がある。

鍛冶師への畏怖が強い。

簡単な弓矢、鉄製の鍬を使う。

長老が土地を宗教的に支配する。

 

 

裸族の人々は我々のような通常は衣服を着ている者が「一糸まとわない」状態を裸というとすれば、彼らも「裸ではない」ということが言えます。

衣服は着ていなくても、彼らもまた様々な物で着飾っていると言うことができます。

 

それは民族により様々な違いがあり、頭飾り、耳飾り、鼻飾り、腰飾りのような身体のどこかに飾りを着けるものであったり、瘢痕文身、口唇拡大、抜歯、削歯のように身体に直接加える損傷を飾りとするものもあります。

また、損傷は加えずともボディペインティングのように色を塗る場合もあります。

このような風習は衣服をまとう文化の地域にも見られるものであり、衣服を着ける前の時代から延々と続いてきたものと見られます。

 

 

裸体そのものを飾り立てて見せるというのが裸族という人々の感性であるのなら、裸体を決して見せないというのも一つの感性と言えるでしょう。

コーカソイドと呼ばれる白人種はそちらの方向に特化してしまいました。

それから起こったキリスト教文化でも皮膚をできるだけ隠すという習慣を強化しました。

裸足になることすら嫌うことが普通のようですが、これは世界的には特異な方のようです。

ただし、そこから起こった西欧文化が世界を席巻したためにそちらの方が普遍的であるかのように見えているだけのようです。

 

なお、モンゴロイドでも中国ではなるべく裸体を隠すような発達を遂げてしまいました。

その点は中国文化の影響を強く受けているものの日本は大きく違うところです。

江戸時代までは労働者はふんどし一丁ということも普通であり、また祭礼の際に裸体になるということもあちこちで見られます。

ただし、中国では以前は公衆トイレにドアがないということもあり、そのあたりの感覚の違いというのは文化の進み方の違いで作られたのでしょう。

 

 

裸族というものの正確な知識を得ることは、文化というものを相対的にとらえるという大きな意味があるもののようです。

キリスト教的な文化が世界中に広がり、それに対してイスラム教文化が挑戦する(ただし、イスラム教文化もキリスト教文化と無縁ではない)というだけの文化観では見誤ることが多いのかもしれません。

 

裸体人類学―裸族からみた西欧文化 (中公新書)

裸体人類学―裸族からみた西欧文化 (中公新書)

 

 

「ぼくらの民主主義なんだぜ」高橋源一郎著

読書記録 社会問題

朝日新聞に月に一度、「論壇時評」というコーナーがあるそうですが、それを担当していた作家の高橋源一郎さんが記事に少し加筆してタイトルを付けたものです。

 

その期間は2011年4月28日から2015年3月26日の分まで、したがってその最初のあたりは多くが東日本大震災福島原発事故に関するものが多くなっています。

 

朝日新聞は現在はほとんど読むことはありませんので、「論壇時評」というものがどのようなものか分かりませんが、この本から見る限りは高橋さんのような執筆者がある一定のテーマで書かれた評論を集め、それを適宜配置しているものの、メインとなるものは自分の主張であるというもののようです。

したがって、その期間内に発表された評論を次々と論評して、といったようなものではないようなので、論壇全体の動きを知るというものではありません。

 

約4年間の48編の時評ですが、本書あとがきにあるように、著者はこの本の題名「ぼくらの民主主義なんだぜ」に表れているように、「民主主義」というものに特に着目してテーマを選んだそうです。

これも大震災という社会を揺り動かした災害が大きく影響しています。

社会や政治というものがどうしても意識されなければならなかった非常事態なのですが、そこで日本に民主主義というものが根付いていないことを改めて感じさせられたということでしょうか。

 

2013年11月の記事は「考えないことこそ罪」と題されています。

冒頭に、田中康夫が1980年に発表した「なんとなくクリスタル」に触れてありますが、発表当時は様々な理由で着目されたものの、後年になり作者が述べたところによると、「自分がいちばん読んでもらいたかったところに誰も気づかなかった」そうです。

 

それは小説本文が終わったあとに置かれた「出生力動向に関する特別委員会報告」と「55年版厚生白書」だったそうです。

そこには将来人口の漸減化と高齢化社会の到来が予告されていました。

田中が本当に問題としたかったのはそこだったそうです。

記事にはその他にも地方の消滅危機を取り上げた評論が紹介されています。

 

 

表題にもなった、「ぼくらの民主主義なんだぜ」と題されたのは、2014年5月のものです。

紹介されていたのは、その年の3月に台湾で起きた、学生による立法院(国会)の占拠事件でした。

中国との関係強化に反対する学生が立法院占拠という行動に出たのですが、国民の広い支持も受けたために24日間も続きました。

しかし、長期になったために学生の間にも疲労感が強くなった時、立法院長から魅力的な妥協案の呈示がありました。

そのときに、参加していた学生の1人から「撤退するかどうかを幹部だけで決めるのは納得できない」という発言があったそうです。

これに対し、リーダーの林飛帆は丸一日かけて参加した学生の意見を個別に聞いたそうです。

その結果、結局は妥協して撤退ということになったのですが、その時に最初に意見を述べた学生からも丁寧なリーダーの対応に感謝するという発言があったそうです。

 

長々と引用しましたが、高橋さんも言いたかった(私も言いたい)のは、次に書かれている言葉です。

「学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、”民主主義とは、意見が通らなかった少数派がそれでも「ありがとう」ということができるシステムだ”ということだ」

 

このような「反対者に対してもきちんと説明をしてから決定する」ことに対しては、フィンランド放射能廃棄物処理施設建設の問題についても触れています。

 

そして、「わたしたちは”ただしい”民主主義を一度も持ったことがないのかもしれない」と結んでいます。

 

まさにその通りという主張だと感じました。

 

 

 

大相撲 歴史に残りそうな大阪場所結末

ニュース

最近は年のせいか大相撲の放送がある時はそれを見るのが楽しみになっていますが、今日千秋楽を迎えた大阪場所は思いもよらない結末になりました。

 

長く語り伝えられるようなものだったと思います。

 

詳しくない方のために経緯を説明しますと。

 

横綱稀勢の里が初日から圧倒的強さを見せて12連勝。

このまま全勝優勝もと思わせたものの、金曜日の取り組みで横綱日馬富士と対戦し、日馬富士の滅多に見られぬ集中した突進に一気に倒されただけにとどまらず、土俵下に落下して肩を強打、すぐに病院に搬送されるという重症でした。

 

相当な怪我と思われるにも関わらず、土曜日は本人が熱望して出場、しかし取り組みではまったく力が出せずに敗戦。この時点で大関照ノ富士が1敗を守り首位に立ちます。

 

今日の千秋楽は照ノ富士と二位につける稀勢の里の直接対決。稀勢の里が勝てば優勝決定戦となりまだ優勝の可能性を残していますが、昨日の様子からも怪我の状態はかなり悪くほとんどその可能性も薄いと見られました。

 

しかし、痛々しい身体の状態ながらも本割では必死の立会でなんとか食らいつき照ノ富士を突き落とし、勝利をおさめて優勝決定戦に持ち込みました。

 

それでもあれが限度だろうと誰もが思っていて、よくここまでやったという気持ちで見た優勝決定戦も堂々の立会から右手一本で投げをうち、見事照ノ富士に勝利しました。

 

久々の日本出身横綱の誕生ということで、注目された稀勢の里ですが、12日目までは憎らしいほどの落ち着きぶりで、そろそろ負けないかなと思わせるほどでしたが、日馬富士との対戦で一気に暗転。このまま休場かと思われたものが、強行出場から奇跡のような二連勝。

 

強い印象を受けました。

この眼でテレビ中継を生で見ることができ幸運でした。

「活断層」松田時彦著

読書記録 科学全般

この本が出版されたのは1995年12月、1月に阪神淡路大震災が起きてすぐのことですので、活断層によって起きる内陸型地震の怖ろしさを知らぬままに被害を受ける人々の多いことを、活断層研究者の著者が危機感をもったのだと思います。

 

東日本大震災のようなプレート境界型の地震は周期的に起きることが知られていますが、内陸型の地震はその周期が数千年以上と長いことが多く、なかなか危険性を意識させることが難しいようです。

しかし、プレート境界型と比べてマグニチュードは小さいことが多いとは言え、都会の真下で発生するということもあり得るために被害が大きくなる可能性があり、決して軽視できるものではありません。

 

本書はそのような活断層というものを概観できるように解説されています。

最初に、兵庫県南部地震阪神淡路大震災)の例を取り断層と地震の関係というものを具体的に説明されています。

 

次に、全国各地に著者たちが実際に調査に出かけて断層を見つけ、その地震発生との関わりなどを調べていった研究のあとを辿っています。

トレンチ調査という断層調査の基本となる方法についてもここで触れられています。

なお、昔は研究者が実際に歩いて探すしかなかったのですが、最近では航空写真などを用いて効果的に調べる方法もあるようです。

 

それでは断層というものがどのようにできるのか、どう動くのかといった総括的な解説がその次の章に記述されています。

断層が活動しているかどうかの判断をする基準となる年代は第4紀とされています。

この始まりは諸説あるようですが、だいたい200万年前くらいからということです。

断層の活動をこれ以降で考えるというのは、便宜的なようですが、現在見ることができる地形というものは大体その年代以降に出来上がったものということで、判断できるものになっているそうです。

 

断層の活動は「間欠性」を示すという特徴があります。普段はじっとしていて、突然一気に動くというものです。

世界にはまったく地震を起こさずに少しずつずれていく断層もあるのですが、日本の場合は必ず地震を起こす活断層です。

 

ズレの速さは断層によって大きく異なります。

丹那断層では50万年に1000mでした。断層によってはズレの量が同じ時期に10分の1,100分の1というものもあります。

最も激しい動きの断層を活動度A級と呼び、これは1000年に1m以上動きます。

中央構造線糸魚川静岡線がこの中でももっとも大きく動いているもので、1000年あたり8-9m動きます。全国では100程度の断層があります。

活動度B級は、それより1桁小さいもの、すなわち1000年に10cmから1m程度です。これは800ほど。

活動度C級はさらに1桁小さいものです。

 

ズレが限度を越えると地震となって一気に動きます。このズレの大きさはこれまで観測されたものの中で一番大きいもので10mでした。1857年のロサンゼルス近郊での地震で観測されています。

日本では最大のものが濃尾地震の際の8mというものです。他のものはほとんどが3m未満のもので、阪神淡路でも2mでした。

なお、地表まで断層のずれが出現するのはある程度の規模の地震に限られ、M7以下で出現するのは珍しいようです。

 

なお、この地震によるズレの大きさと1年あたりのズレの堆積量を計算するとだいたいの地震の周期も分かるということになります。

これで昔の地層を調査して地震の起きた年代とそのズレの大きさから次の地震の起きる可能性を推定するということが行われています。

 

本書後半部分は全国各地の活断層の解説が書かれています。

やはり興味は、この本出版の後に起きた地震の原因断層がどのように書かれているかということですが、まあ大体は正確なんだろうなと思います。

 

九州の記述では、「九州中部は日本列島の中でも特異的な地帯」であるとされています。

東西方向の正断層が並走しているという特徴があり、日本ではここだけだそうです。

なお、日奈久断層は南九州と分類されており、長さが長いので引き起こす地震は最悪の場合M7以上になると書かれていました。

熊本地震は日奈久断層ではありませんでしたが、この予測は当たってしまったことになります。

 

南海や東南海、東海など、プレート境界型の巨大地震の危険性はよく言われますが、内陸型の活断層地震もその震源域では十分に大きな被害を引き起こす危険性がありそうです。

やはり、良く知って対策をするということになるのでしょう。

 

活断層 (岩波新書 新赤版 (423))

活断層 (岩波新書 新赤版 (423))

 

 

森友学園事件 本当に大きな問題なのは官僚の恣意的操作を糾弾する手段が無いこと

ニュース 政治経済

森友学園の籠池元理事長の国会での証言をめぐりさらに紛糾しているようです。

 

テレビもそれ一色のように見えますが、そこで調査結果として出されているように、国民一般の一番の関心事は「政治家の関与があったかどうか」に絞られるようです。

国会での野党議員の追求もその点に時間をかけられました。

 

実際にそのような政治家の働きかけが存在し、しかもそれに学園側の献金などが絡んでくれば問題ですが、そうでない可能性も強いでしょう。

 

しかし、政治家の働きかけがあろうが、あるいはそれ無しに官僚側が「自発的に」首相の「お気に召すように」取り計らおうが、国有財産を不当な安値で売却したことは間違いないことでしょう。

 

さらに、この一連の手続きはおそらく「完全に合法的に」行われているはずです。

なにしろ、それだけが官僚の存在価値ですから。

 

 

それって、「おかしくないですか」

 

誰がどう見ても国民財産を損なった行為ですが、違法性が無ければ現在の司法では手の施しようが(たとえやる気があっても。無いでしょうが)ありません。

 

唯一できるのは国会での審議でしょうが、これも期待薄です。

 

韓国の特別検察官制度のような政府から独立した司法機関が必要ではないでしょうか。

 

 

そんなわけで、23日からはテレビを見る気もしません。高校野球と相撲以外は見たくない気分です。

「海の向こうから見た倭国」高田貫太著

読書記録 歴史

よく読ませていただいている、オヤコフンさんのブログで紹介されていた本です。

図書館に購入希望を出しても待ちきれないので、スカイツリーから飛び降りるつもりで久々に自分で買いました。

 

massneko.hatenablog.com

著者の高田さんは岡山大学で考古学を学ばれ、その後韓国の慶北大学校で博士号を取られたという方です。

岡山大学在学中に吉備地方の古墳発掘にも参加し、そこで朝鮮半島由来の異物が多数見られることから古代の日本列島と朝鮮半島の深い関係を感じ、その方向の研究を深めることを目指されたそうです。

 

 

古代の日朝関係というと、かつての神功皇后三韓征伐などということを信じる人はもはや居ないでしょうが、百済と友好関係を結び新羅と争ったと言った程度の認識しかなかった私と、誰も同程度の印象しか持っていないのではないでしょうか。

そこに高句麗との関係まで入ってくるともう分からなくなってしまいます。

 

しかし、どうやら実際はかなり複雑な事情が朝鮮半島、日本列島の双方に存在したようです。

それが、詳細な考古学的検証により見えてきます。

 

本書冒頭には、本書の理解のためにとして簡略にまとめた「デッサン」が置かれています。

非常に理解しやすく配慮された構成で、お若いに似合わず(40歳になられたとか)周到で筆力にも優れていることが感じ取れます。

 

そのデッサンによれば、

 弥生時代後半 日朝の沿岸に住み漁労を生業とし優れた航海技術を持つ「海民」により日朝間の交易が本格化する。半島南部と北部九州に多数の国が成立。

 

三世紀後半 金海と北部九州を幹線の両輪とする交易が充実。洛東江河口と博多湾に大規模な港が整備される。なお、畿内に成立した倭王権は金官国(狗邪)を重要なパートナーとして直接交渉を目指す。

 

四世紀前半 倭王権と金官国の直接交渉が本格化し、博多湾を経由せずに沖ノ島を通るルートが整備される。博多湾沿岸の港は急速に衰退するが、北部九州は倭王権からは独立した形で活動を強める。

 

四世紀後半 高句麗の南下の圧力が強まり、百済倭王権に接近を図り、金官伽耶と倭と百済の同盟が成立する。新羅高句麗に従属することで安定を図るがその一方で倭との交渉も始めていた。

 

五世紀前半 高句麗がいよいよ勢力を増し南下する。金官伽耶は衰退するがその代わりに台頭した大伽耶国が倭との交渉を活発化させる。

倭でも王権だけでなく瀬戸内や北部九州の地域社会が独自に外交を展開する。

 

五世紀後半 新羅が力をつけ高句麗の影響下から抜けようとする。そのために倭との交渉を強める。倭王権は国内の勢力の押さえ込みに乗り出し、まず吉備の中心勢力を倒す。

 

六世紀前半 新羅が伽倻に攻め込み、金官伽耶は滅亡、百済、大伽耶新羅の対立が激化。各国とも有利を保つために倭との交渉を個別に強める。

新羅と九州の大首長「磐井」との関係強化が倭王権を刺激し、磐井の乱の引き金となる。

この時期に、朝鮮半島西南部の栄山江流域の勢力が倭との交渉を活発化させる。

倭とのつながりが大きくなり、その地域に多数の前方後円墳が築かれる。

しかし、百済新羅により小勢力は征服され、さらに倭王権が列島内の対抗勢力を併合しこれ以降は日朝間の交渉は王権同士で行われることになる。

 

 これら各時代の特徴を豊富な考古学的発掘の結果から論証していくわけですが、細部はとても紹介できませんので、幾つかの点のみ引用します。

 

 

3世紀後半まで反映した博多湾の港ですが、西新町遺跡(福岡市早良区)は4世紀には衰弱し後半には消滅してしまいます。

それと連動するように、玄界灘沖ノ島が繁栄し始めます。ここは現在でも祭祀場として神聖視されていますが、そこからは弥生時代後半からの朝鮮半島系の土器や西日本各地の土器も出土するそうです。

朝鮮半島側の古金海湾の交易港は西新とは対照的に4世紀に入っても繁栄を続けます。ただし、金官伽耶の王族の墓地からは倭王権から送られた貴重な品々が副葬品として出土するようになります。

これが、この時期になって金官伽耶倭王権が直接交渉を始めた証拠と見なせます。

 

 

前方後円墳は日本独自のものであるとされてきましたが、朝鮮半島にも存在することを示したのは、1987年に韓国の姜仁求氏が初めてでした。

90年代に入り相次いで前方後円墳が発掘されました。

そこに埋葬されていたのがどのような人物かということは日韓の考古学界で論争が続いていますが、在地首長説、倭系百済官僚説、倭人説とあるようです。

ただし、これら栄山江流域周辺の前方後円墳には副葬品として百済や伽倻、倭の品物も多く、様々な地域の勢力と関係があったことは確かなようです。

しかし、この地域は6世紀には百済に併合されてしまい、その後は前方後円墳の造営は行われず百済式の横穴式石室になってしまいます。

 

 

巻末の「これからの課題」には倭各地の前方後円墳が築かれた背景の詳細な解明が必要とされています。

前方後円墳が築かれたからといって、その地域が倭王権に服属したということを意味しないとされています。

6世紀の前方後円墳で第4位の規模を持つのは筑紫の磐井が築いた岩戸山古墳でしたが、その後磐井は倭政権に見切りをつけて新羅と結んでしまいました。

面従腹背の首長も多かったようです。

 

当時の日本と朝鮮半島とは一衣帯水という言葉通り、密接なネットワークが絡み合ったような世界だったのでしょう。

それを解きほぐしていくような考古学研究というものも興味深いもののようです。

 

海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)

海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)