爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

行ったことのある都道府県 神奈川県

神奈川県は今でも「一番長く住んでいた県」です。熊本に家を構えてからかなり長くなりましたが、まだ計算すると少し神奈川の方が長いようです。

最初は父が定年近くなりようやく家を建てて落ち着いた小学校6年の時から大学卒業まで過ごした茅ヶ崎です。その後仕事で赴任先の熊本に暮らしますが転勤で藤沢に住むことになりました。途中で群馬に派遣ということもありましたが、合計するとかなり長い期間藤沢に住んでいました。その後しばらくしてからまた転勤となり、その時は単身赴任で川崎と藤沢に住みました。

思春期から青年期までを過ごしたので、やはり茅ヶ崎が一番印象に残っています。東京から引っ越したので海のすぐそばというのはなかなか新鮮な気持ちになりました。しかも、海岸といわずあちこちから見えた富士山の姿は見事でした。今では家も建て込んでしまい見えるポイントは少なくなってしまいましたが、実家の裏の家が建て替えられるまでは玄関を出るとすぐに富士山が見えました。
あの辺の学校の校歌には必ず富士山が歌われていると思います。中学の校歌には「あしたゆうべに空高く霊峰富岳打ち仰ぎ」とありましたし、高校の校歌は「秀麗の富士を高く西に仰ぐこの丘」でした。実際に高校は小高いところにあったので、校舎の屋上から見る風景は見事でした。今では高いマンションなども増えたようですが、その頃は遮るものは何も無く、箱根と丹沢の間に裾まではっきりと見えたものでした。
中学は海岸沿いで、冬場などは体育のランニングは砂浜を走ったものですが、海岸からの富士や伊豆半島、大島、江ノ島の光景も忘れられません。この風景は今でも変わらず見られるのは嬉しいところです。

富士山の光景といえば、通学で乗っていた東海道線の電車の車窓から見えた富士山というのも思い出されます。混雑していて結構茅ヶ崎からずっと立ち詰めということも多かったので、今のようにスマホで暇つぶしというわけにも行かなかった当時は車窓からの景色を眺めていたものでした。茅ヶ崎から藤沢を過ぎるまでは見えるのですが、大船の手前からしばらくは手前の岡に隠されます。戸塚に近づいたところで岡の上にちらりと顔を現します。さらに今は東戸塚の駅に隠され見えなくなりましたが、あの位置からも見通せたものでした。そして最後に見えたのが多摩川を渡る橋の上からで、空気の澄んでいる時は南アルプスを背に富士山が見えたものでした。
帰りの電車では、辻堂から茅ヶ崎に到着する寸前に、東洋陶器(現TOTO)の工場の前のカーブを回った時にぐっと富士山が大きく見えるポイントが好きでした。

茅ヶ崎に次いで長く住んでいた藤沢市も辻堂というところは、藤沢駅周辺のような開発された地域と異なりやや自然が残るところで、特に松林が多いところでした。茅ヶ崎も昔はそのようなところが多く、松林の中の砂だらけの道というのがあちこちにありましたが、最近は少なくなってしまいました。

近頃は茅ヶ崎の実家に帰ることもあまりなくなってしまいましたが、たまに富士山が見てみたいという思いはあります。その中でも今は見られなくなってしまった、(以前の校舎は改築されてしまいました)高校の校舎の屋上から見たものが最高でした。