爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

統一地方選挙が迫ってきたが、地方自治というものはこれで良いのか。

統一地方選挙が来月に迫り、熊本県でも県会議員選挙があるために立候補予定者の暗躍?が始まっています。

しかしある程度の利権の期待される県会議員程度であれば希望者も多いのでしょうが、市町村会議員などでは立候補者も少なく無投票で決まったり定数に及ばなかったりといった事態があちこちで見られます。

 

結局のところ「地方自治」などと言いながら県でできること、市でできることなどが極めて制限されており、国の政治のはみ出した部分のみをやらされたり、下請け事業であったりということになっているからでしょう。

 

一応、国会でも政府でも地方自治の見直しなどと言うことはあげてはあるようですが、本気のはずもなく通り一遍のものでしかないものです。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi093.pdf/$File/shukenshi093.pdf

衆議院憲法調査会事務局資料)

 

アメリカの場合は州というのは「地方」ではなくそれ自体が政治組織であり、連邦は州の集合体という意味のため日本とはかなり違いそうです。

それでは日本で都道府県などをアメリカの州と同じ機能にはできないのか。

これはほとんど無理でしょう。

あまりにも小さすぎます。

それでは一部でいまだに議論だけはされている「道州制」ならばどうか。

もちろん、道州にはこれまでの都道府県レベルとははるかに大きな権限を持たせることとします。

つまり、防衛は仕方なく国レベルに任せるとしても、税の徴収からその使い方も大きな部分まで州の選択に任せる。

そこまでやればかなり大きな変化が期待されますが。

 

ほとんど実現の確率も0に等しいのでしょうが、それでももしも出来たらどうなるか。

まず「ほとんど税収の無い道州はどうしようもない」ことになるでしょう。

JRの惨状を見るまでもなく、北海道、四国、九州は税収も少なく何もできないということになりそうです。

ただし、「最初はそうでも」地域単位で強力な対策を独自にすることにより発展する可能性も無いわけではありません。

時間はかかりそうですが。

 

とはいえ、現実には変わる要素もないまま地方自治体の存在意義は低下し続け、議員のなりても少なくなり、地方崩壊に進むばかりなのでしょう。