古代メソポタミア文明はシュメール人によって始められましたが、その後セム系と考えられるアムル人によりバビロニアが建てられ、ペルシアに滅ぼされるまで続きます。
その主邑バビロンは旧約聖書にも描かれるために西洋文明では有名なものでした。
そのためか、早くも古代ギリシャの歴史家ヘロドトスもバビロンを訪れ、すでに廃墟と化した様子を描いています。
メソポタミア文明では楔形文字が作られ多くの文書が残されており、歴史学の対象として早くから解読が進められ、その内容も知られていました。
この本は「最新の知見」を入れてバビロニアの歴史や文化を詳述しようというものですが、原著は1963年の出版ですので、その当時の最新ではあります。
しかしその後1975年に岩永博氏によるに日本語訳版が出版されさらにその新装新版が2009年に出版されるということから、メソポタミア史学では重要な文献であることが分かります。
内容は原始時代から始まり、シュメール人による文明の開花から語られますが、やはり主要部分はバビロニアの王国の体制が整ってからになります。
全ての王について、「あまり記録はない」という記述で終わるものがあるにしろ、とにかく名前は触れてあります。
有名な名前ではハムラビ、ネブカドネザル、アッシュールパ二パルといったものは聞き覚えがありますが、それらも特に詳述されるということもなく、他の王たちと同様の筆致でつづられていきます。
有名なハムラビ法典の解説はさすがに特に詳しいものでした。
ハムラビ法典に先行する法典もあるようで、いくつかの名前が出されていますが、それらは法典というよりは法廷での裁判記録のようなものであったようです。
ハムラビはそれを詳しく制定し記録として残したもので、世界で最初の法律だということが分かります。
内容も詳しく書かれており、様々な場面での法律規定というものが描かれています。
現代の法体系のつもりで見ていると驚くものもあり、外科医の処置料金、獣医の料金、理髪師の料金なども決められていました。
外科医は処置に失敗して患者が死亡した場合、患者が自由人なら医者は手を切断されることになっていたようです。
また、理髪師は髪を刈るだけなら大したことはなさそうですが、他の業務として奴隷に所有主の烙印を押すという仕事があったようです。
それでもしも逃亡奴隷が烙印を消すように依頼しそれを行った場合は理髪師も罪に問われ、これも手を切断される規定になっていました。
バビロニアはその後アッシリアに圧迫され衰退しますが、一時的に復活し勢力を強めます。
ユダヤを滅ぼしてバビロン捕囚を行なったのもその頃でしょうが、すぐにペルシアに敗れてさらにアレクサンダー大王によって消滅させられます。なお、アレクサンダーが病になり亡くなったのはバビロンだったということです。
長いバビロニアの歴史を見ていっても、人間社会のやることはいつになっても変わらないという思いを感じます。