1985年に男女雇用機会均等法が施行され、さらに安倍政権では女性の活躍などと言われていました。
しかし女性の労働環境は改善は遅々として進まず、女性の非正規雇用率は高いまま、賃金の格差も大きく男女の差は激しいものです。
本書著者の鹿嶋さんは日経新聞でながらく生活家庭部で活躍し、女性の労働問題にも詳しく、その後は大学教授に転進しながら政府の男女共同参画会議の委員なども歴任してきたという、この問題に関して深く関わってきた方です。
社会の変革がなかなか進まないのは、やはり社会全体の意識が変わってこないからでしょう。
私も言われてみればやはり「男は外、女は内」という感覚がどうしても抜けきれないところがあり、偉そうなことも言えません。
1985年は男女雇用機会均等法が施行されたということで、日本において女性を取り巻く状況が変わった年でした。
しかし働く女性の感覚としては何も変わらないという思いが強かったようです。
以前の小説でジョージ・オーウェルが書いた「1984年」というものがありました。
監視社会を描いたディストピア小説ですが、その頃には著者名とかけて「常時・OL」という言葉が流行りました。
機会均等などといっても、結局は女性は管理職などに昇進することなく「常時」「OL」でしかないということです。
この法律の制定をめぐっても政界ばかりでなく経済界からも多くの意見が寄せられましたが、いずれも従来の流れを変えたくないというものばかりでした。
法律の名に「平等」が入らず「機会均等」となったのもそういった圧力のためです。
実際に平等にするなどといったら大変なことになるから、「機会」は「均等」にしておくという、誤魔化しが含まれています。
この法律に対して、経済界が出した対策が「コース別雇用管理制度」でした。
つまり、「総合職」と「一般職」という形で使い分け、男女差は無いように見せても実際には総合職はほとんど男子、一般職は女子というものでした。
総合職は管理職への昇進もあり得るものの、そのためには長時間残業、転勤といったものを受け入れなければならないというものです。
転勤は特に既婚女性にとっては受け入れにくい条件であり、ここであきらめた女性が多数でした。
結婚した男女がどういう家庭を築いていくのか、最近はかなり変化しているようですが、1985年当時では家事・育児は女性というのがほとんどの家庭での考え方でした。
夫が家事育児の手伝いなどといてもごく一部のみで、大半が妻が担当するというものでした。
それでは妻は総合職で勤めを続けるといってもほぼ不可能であり、多くの女性は出産時に退職するということになりました。
そして、子どもが成長してから再就職するといっても非正規雇用しかないというのが実情であり、それが現在の女性雇用の大半が非正規という現状につながっています。
さらに高齢者などの介護もほとんどが女性任せという状況もあります。
親の介護が必要となる時には娘も中年になるのですが、それまで正社員として勤務していても介護のために退職といったことが多数発生しています。
この場合も男性が退職といった事例はないわけではないですがやはり女性が多数となります。
女性の活躍といったことは現在でも言われていますが、そこでは「女性の視点を活かして」といったことも聞かれます。
これが女性は特別といった意識を心理下に持っているということは発言している本人もあまり意識していないのかもしれません。
女性が「温順親切」「綿密丁寧」であるから、その視点を活用したいとプラス思考だと思い込んでいるのでしょうが、その女性像というものが思い込みに過ぎないというのが真相です。
女性がそのような性質だからということで、女性に適した職業もそういったものに限られるという方向に話が持っていかれることになりがちです。
そのような偏った制度が、離婚が増加する現在になり女性を非常に苦しめることとなっています。
離婚して多くは子どもを引き取った女性は正社員雇用は望めず、非正規で低い賃金に苦しむということになり、貧困問題の多くを占める状態です。
ここにも「我慢できずに離婚したのが悪い」といった意識が影を落とします。
多くの問題はやはり社会の多くの人の意識が大きく作用しているのでしょう。
そしてその意識は私自身にもあるということが、振り返ると若干でもありそうです。