爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「再生可能エネルギー」を経済性で考える愚

脱炭素化を進めようとする動きの中に、原子力発電を紛れ込ませようという策動が強まっていることに対し、強い危機感を持つ人々が意見を発しているのですが、「再生可能エネルギーの方が経済性で優れる」と主張するのが果たして良いのでしょうか。

 

www.tokyo-np.co.jp

座長をはじめメンバーには学者などが含まれているようですが、「10年で太陽光パネルの価格は10分の1に下がったが、原発コストは2倍に上がっている」ので今後はさらに再生可能エネルギーが有利になるという主張のようです。

 

まあ、「原発ゼロ」を主張したいがための理由付けですので、大甘なところも入れてしまっているのでしょうが。

 

そもそも、「太陽光パネルの価格が10分の1に下がった」のになぜ電気料金は下がらずに上がり続け、しかもFITなる詐欺的な収奪がさらに増えているのでしょうか。

そこをおかしいとも思わずに、今後もさらにこのような事態が拡張するのでしょうか。

 

しかも大きな忘れ物が、「現在の太陽光パネル製造のほとんどは化石燃料エネルギーによる発電などで作られている」ことです。

だからこそ、製造費が安くなっている。

もしもそれがすべて「脱炭素化」され、製造工場の電力もすべて再生可能エネルギーで賄わなければならなくなったら、製造コストは跳ね上がります。

 

もう何度も書いていることですが、「すべてを再生可能エネルギーで賄うような社会」を作る社会実験を、ある区域を区切って実施してください。

その中では太陽光発電パネル製造工場や、風力発電装置製造プラントをすべて、再生可能エネルギーのみで運用する。

それでそれらの装置の製造コストがどうなるのか、はっきりと数字で出す。

もはや「まだ開発途上なので能力不足」などと言う言い訳はできません。

もはや十分に能力が上がっているはずであり、それを用いても不可能ということが示されるだけでしょう。

 

その実験が不可能ということは、そういった社会が近々やってくるという見込みもないということです。

遠い将来ではありません。すぐそばの未来の話です。