爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「さすらいの仏教語」玄侑宗久著

仏教から出た言葉は今もかなり多く使われています。

しかし中には元の意味から遠く離れている言葉も多いようです。

そういった、原義とは大きく変わってしまった言葉を「さすらい」と表現し、解説しています。

 

退屈という言葉ももとは仏教からというのは知られていないことでしょう。

仏道の求道者の「志が退いて屈すること」を意味しました。

あまりの修行の厳しさに逃げ出すといった状況でしょうか。

したがって現代の何もやることもなくボーッとしているという意味とは相当違っていたようです。

 

利益は経済で使う場合は「りえき」と読みますが、仏教では「りやく」と読むということは知られているでしょう。

ふつうは「ごりやく」と使います。

しかし「りえき」の場合は商行為で得られ誰かの財布から入ってきますが、「りやく」は神仏から頂くものです。

ただし、「ごりやく」ばかりを求める宗教も多く、これでは経済的な「りえき」のように見えます。

 

金輪際と有頂天

金輪際の金輪とは大地の下にあるもので、地獄と同様に考えられます。

金輪際とは金輪の縁ですが、それに接する大地の一番下ということです。

金輪際ということばはたいてい否定形で使われますが、「金輪際しない」は「たとえ地獄に落とされようともしない」という意味です。

上の方は存在の絶頂を意味する有頂天。

無色界を四つに分けたなかの最高処、非想非非想処天のことを有頂天と言うそうです。

しかし凡夫の場合はちょっと良いことがあって思わず我を忘れるのが有頂天のようです。

 

普通に使われているいろいろな言葉に仏教の伝統があることを見るとその影響力の大きさに驚きます。