アメリカの小さな女の子たちにはプリンセスになりたいという「プリンセス病」にかかっている子が多いようです。
これはディズニーが2000年に打ち出した長編映画の宣伝戦略が大きく影響しているようです。
そのおかげで小さな女の子は自分でデコレーションできる「プリンセス・ミラー」やキラキラするピンクの飾りがつけられた「プリンセスTシャツ」を欲しがるように仕向けられてしまいました。
しかし、実際のプリンセスというものはそんなロマンチックなものじゃないぞと教えてやりたいというのが著者の意図です。
プリンセスというものは王や上流貴族の娘ですが、当然ながらそういった地位に付き物の権力争いに巻き込まれ、いや巻き込まれるどころかそれを引き起こして主導したプリンセスも数知れず。
また、莫大な財産を手当たり次第に使い果たしたプリンセスもあちこちに見られます。
さらに、(小さな女の子に説明するわけにはいかないだろうけれど)夫には目もくれず浮気の限りを尽くしたようなプリンセスも。
ただし、そういった欲望だけで動いたというだけではなく、自らの立場上仕方なく激しい行動を取らざるを得ず、社会を揺るがせたような人も触れています。
なお、そういったプリンセスをヨーロッパばかりでなく世界中から選び出し、中国やインド、アフリカやアメリカまで取り上げています。
ほとんどは名前も、その国すら知らないようなことばかりです。
また、上記のように普通は王様や上流貴族の娘をさすプリンセスという言葉ですが、特にヨーロッパではプリンスすなわちキングの後継者の配偶者もプリンセスと呼んでいますので、本書ではそれも含まれます。
さらに、「自称プリンセス」で詐欺を働いたような人々まで含みますので、幅は相当広くなっています。
多くのプリンセスが紹介されていますが、その大体の性格で次のように章ごとに分類されています。
「簒奪者」「戦士」「謀略家」「サバイバー」「狂騒」「奔放」「狂女」
簒奪者の中に入れられている中国唐の則天武后は、普通に考えればプリンセスには当たりませんが、おそらく皇太子の後宮から成りあがったという意味で入っているのでしょう。
そしてその後は唐王朝を簒奪し、中国歴史上唯一の女帝となりました。
一方、唐王朝初代皇帝の高祖の娘、平陽公主は確かに皇帝の娘ではありますが、唐王朝樹立の際には自ら軍を率いて父や兄のために戦ったということで「戦士」のプリンセスと紹介されてます。
モンゴルのチンギスハンの孫、カイドゥ・ハンの娘のクトゥルンはモンゴル相撲で男にも負けないほどの猛者だったそうです。
彼女が「美女」だったという伝説もありますが、これはおそらく話を面白くするための創作だったに違いありません。
クトゥルンは自分に相撲で勝った男としか結婚しないと言っていたのですが、誰も勝ちませんでした。
しかし相撲には負けなくても結局結婚はしたようです。
クトゥルンの伝説を読んでいたフランスの学者フランソワ・デ・ラ・クロワが書いたのが「トゥーランドット」であり、それがさらにプッチーニのオペラ「トゥーランドット」につながったのだそうです。
確かに「悪いお姫様」もたくさんいたようですが、どうも「悪い」とばかりは言えないような事情も数多くあったように見えます。