爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?」内藤正典著

ヨーロッパ各国では移民・難民の受け入れが大問題となりそれを排斥しようとする極右政党が勢力を伸ばしています。

アメリカでもメキシコからの不法移民の侵入を阻止しようとするトランプの政策が国論を二分しました。

日本でも移民は決して受け入れないと言いながら労働力不足を補うための方策を取っています。

 

国によって事情は様々ですが、国境を越えた人々の移動というものは止められないようです。

 

この本は多文化共生が専門の同志社大学教授の内藤さんが、こういった問題になかなか関心が持てない日本人相手に、移民と難民、外国人労働者の何が違うのかといった問題から、日本や世界の現状、そして外国人とどう付き合っていくべきかについて分かりやすく解説しています。

 

難民といえば戦争などで生命の危機にさらされたり、政治や宗教で迫害を受けたりして国外に逃れてきたという人たちですが、これに対しては国連が定めた難民条約のなかに「難民の定義」があり、「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由の迫害を受けるおそれがある(中略)国籍国の保護を受けることを望まない者」ということです。

こういった難民は受け入れて保護されなければなりません。

 

しかし、経済的な理由でやってくる移民という人々は国によって受け入れ状況も異なり、日本などは受け入れはしていませんし、これまで受け入れてきた国でも増えすぎた移民で国内状況が悪化したとして減らそうとする場合もあります。

ところが、「難民」と「移民」という区別はそれほど簡単にできるものではありません。

自国で本当に迫害があったのかどうか。

それを認定するのは困難であり、手間もかかります。

それで苦悩しているのがヨーロッパの国々です。

難民認定を待たせる間、トルコやギリシアの収容所に入れておくもののその環境が劣悪といった問題点も出ました。

 

日本の場合は移民は認めておらず、難民もほとんど拒絶しています。

難民認定申請は出されるものの、実際に認定される人の数はごくわずかです。

ところが、日本人の労働力減少によって特に3K職場などでの人手不足が深刻化し、これを外国人労働者に頼ろうという動きが強まりました。

そのため様々な手段(姑息な)を取り実質的に外国人労働者流入を許すようになりました。

これまでも専門職の在留資格は許すものの、単純労働は受け入れないという建前はあったものの実際にはその人手不足が激しいということになりました。

その手段が、「留学生のアルバイト」「技能実習生」「日系人」でした。

 

2018年の外国人雇用状況によれば、

専門的技術的分野(弁護士や会計士など)が28万人であるのに対し、技能実習生が31万人、留学生のアルバイトが30万人、日系人などが50万人などとなっています。

技能実習は建前としては日本で高度技術を習得するなどと言うことにしていますが、実際には非常に安い給料で単純労働をさせるものです。

留学生アルバイトもよく見かけるコンビニや飲食店のバイトでしょう。

そういった、日本人があまり働かなくなった職場への労働力としての利用です。

 

技能実習生の「逃亡」ということが大きな問題となっています。

毎年数千人規模で登録された職場から逃げ出す人が出ています。

その理由は「もっと高い給料をくれる会社に行きたい」といえば実習生のわがままのようにも聞こえますが、実際には実習生に対し最低賃金にも満たない給与しか支払っていない職場があり、さらに「賃金未払」も頻発するというのが実態です。

そもそも、彼らの来日にあたってはブローカーに対して相当な金額を払ってきているのが普通です。

それを何とか返してさらに稼ぎたいというのが希望なのですが、それすら難しくなるような状態です。

 

技能実習生の在留期限は5年ですが、それで帰したのでは代わりが居ないということでさらに5年の在留を認めようという特定技能1号という業種枠を作ったのが2018年の入管法改正でした。

しかしこれも日本側の都合だけであり、特定技能者であっても家族の呼び寄せなどは認めていません。

合わせて10年も家族と離れ離れを強いるというのは、単身赴任が常識となっている日本はいざ知らず世界的には大変な非人道的処置です。

しかしどうしても家族帯同を認めないというのは、あくまでも「移民」は排斥したいという日本の都合です。

労働力は欲しいけれど家族が来れば子どもたちには教育をしなければならない、医療も必要となる。

そのような義務はできるだけやらずに辛い労働だけをしてもらいたいという本音が明らかです。

 

こういった外国人観は日本特有のものかというとそうでもないようです。

現在では多くの移民・難民を受け入れているドイツですが、かつては日本以上に血縁主義であったそうです。

ところが戦後の人手不足の悪化でどうしても外国人労働者が必要となり、主にトルコから受け入れました。

しかし当時はドイツでも外国人に対する配慮などは不足しており、トルコ人の子どもたちの教育も全く特別扱いもしなかったためにトルコ人の子弟は皆学校から落ちこぼれてしまったそうです。

その若者たちはトルコに帰ることもできずドイツ国内でも行き場所もなく、不安定要因となってしまいました。

こういった状況は他のヨーロッパ諸国でも同様で、そのような移民2世たちがテロに走るといったことも頻発しています。

 

そういった状況はこれからの日本でも増えていくはずです。

外国人はどうしても集まって住むようになりますので、それを周囲から見て日本人たちが騒ぐようになります。

ゴミの出し方が悪いとか、夜まで騒ぐといった苦情はどこでも出るようです。

外国人は犯罪の源などと言うことも言われますが、実際には彼らは捕まって送還されることを最も恐れますので、その不安はそれほど大きくないようです。

受け入れ側としてもできるだけ彼らとコミュニケーションを取る必要があるでしょう。

ゴミの出し方など、何度か説明すればルール通りにできるはずです。

ただし、相手の人間としての尊厳を傷つけることだけはしてはいけません。

宗教というものはその最低限のところに入るもので、これを「郷に入らば郷にしたがえ」だからと、イスラム教徒に豚肉や酒を食べさせようとしてはいけません。

 

著者が大学の学生に外国人労働者とのコミュニケーションを指導した際、学生が不安に感じたようだったので教えたのが、「彼らに家族の写真を持っていれば見せてもらえ」ということだったそうです。

そうすると、ひげ面のいかつい男性でも喜んで財布から写真を取り出し、見せてくれてその後は話もしやすくなったということです。

 

これからは否応なしに外国人と共存していかなければならないのでしょう。

そのためには我々も考えておく必要がありそうです。