爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「北条義時」岩田慎平著

折りからNHK大河ドラマでは、北条義時を主人公としたものが放送されており、タイムリーな新書が出たものと思いましたら、あとがきには正直に書かれていました。

NHK大河ドラマ放映が決まったということで、中公新書は急遽その時代の専門家の歴史家に執筆を依頼したということです。

 

もちろん本の方はドラマとは関係なく歴史上の史実とされているものを解説していきます。

なお、件のドラマの題名は「鎌倉殿の13人」ですが、これはドラマだけでなく実際にもそう言われていた時期があったそうです。

「鎌倉殿」というのは最初は源頼朝のことですが、その後は後を継いだ源氏の棟梁を指しました。

また13人という人々は、頼朝死去のあと頼家が後を継いだ時に、北条時政や義時など13人の有力御家人が頼家を支える体制を作ったのですが、この13人以外には頼家に取りつぐことを禁ずるという内容があったそうです。

しかし、その直後からこれらの有力御家人は内部での争いを続け、殺し合いを演じることとなります。

 

ドラマでは頼朝の前の愛人で子どもを産んだもののその子は殺された八重が北条義時と結婚し子供を産んだということになっており、そんなことがあるものかと思いましたが、その辺の事情も書かれていました。

実は鎌倉幕府創成期の記録はそれほど残っておらず、また義時についてもそれほど前半生については分かっていないそうです。

特に寿永2年(1183年)頃の期間の吾妻鏡はその部分が欠落しており、はっきりした記録も他にはないそうです。

そのため、義時の長男の泰時(幼名金剛)が生まれたのがこの時期なのは間違いないのですが、その母が誰なのかということがはっきりしないそうです。

偶然かどうか、泰時の死没する仁治3年(1242年)も吾妻鏡は欠落しており、義時の後を継いで鎌倉幕府を支えた名執権と言われる泰時が生没共にはっきりしていないというのが本当のところです。

 

しかし鎌倉幕府というものは、その最初から最後まで多くの殺し合いが起きました。

御家人同士の争いで一族全滅というだけでなく、二代将軍頼家は勢力争いに敗れ幽閉から殺害それと共に比企氏も族滅、三代実朝は頼家の遺児公暁(こうぎょうと読むのが本当だそうです)により白昼暗殺という血なまぐさい事件が続発しました。

政権自体がそういう性格であったということかもしれませんが、ドラマの方もこの先はこういった展開が続くのでしょう。