明治維新によりそれまでの支配階層であった武士はその職を失いわずかな手切れ金で放り出されたも同然でした。
特にこれは幕府の家臣であった人々では激しい変動であったようです。
この本は日本近代史の研究者である著者が、多くの元幕臣たちのその後をたどったものです。
元幕臣の明治になってからの活躍といえば、福沢諭吉や渋沢栄一といった人々が思い起こされますが、もちろんこういった大成功という人も居る一方で、職を探すも上手く行かずに零落したという人々が数多かったということもよく聞く話です。
もちろん、数からいえば零落した人々の方が多かったのでしょうが、その生涯というものはほとんど記録に残っているわけではありません。
大成功者と言える人々はほんの少しでしょうが、それでも多くの元幕臣たちは精一杯の努力を重ね、そこそこの人生を送ったようです。
江戸幕府が倒壊し、新政府ができた時に、徳川家家臣たちには3つの選択肢がありました。
一つは徳川家が駿河府中(翌年静岡と改称)に70万石を与えられ大名として存続することになったので、それに附いて行く。
二つ目は新政府に仕える。
そして三つ目は武士の身分を捨てて帰農・帰商するということです。
ただし、正式な選択肢ではないのですがもう一つの道を取った人々もいました。
つまり、江戸から北方の諸藩に逃れ政府軍に抗戦し戊辰戦争を戦ったというものです。
しかし、その道を選んだとしてもその後また別の道に行かざるを得ないということになります。
そこから新政府に出仕するという人もいますし、帰農などをする人も出ます。
戊辰戦争を戦った人も敗戦後に新政府に参加するということもありました。
人により事情は様々であり、また能力も多様ですのでそれを活かすことができた人は多かったようです。
幕臣といっても幕末期には多くの農民・商人出身者が御家人株を買うという形で幕府に仕えることになったという例が頻発していました。
こういった人々はそもそも能力次第で出世していましたので、明治になっても十分に能力を発揮するということができた例が多いようです。
一方、昔からの幕臣といった人々は家の格式で地位を守ってきたということから、新時代に合わせることもできずに零落していくこともありました。
ただし、それも個人次第で大家の出といってもそもそも長男以外は家を継げる見込みもなかったということで他家の養子を目指したり何らかの武芸や知識を身につけなければ生きていけなかったということから、そういった人々は明治になってもなんとかやっていけるということもありました。
幕末期から急激に盛んになった「洋学」と呼ばれる学問を目指した人々はやはり新時代になっても新政府や経済界で活躍できる可能性が高かったようです。
英語や仏語などの語学能力は必要最低限であり、それに加えて西欧の様々な知識を貪欲に吸収していた人々はその後もいろいろな場面での実力発揮の舞台が待っていました。
かえって旧幕時代に権威であったものはついていけなかったのでしょう。
御鷹匠、御鳥見などという、将軍の鷹狩だけが職務という幕臣も何十人も居たのですが、彼らは早々と解任されてしまいます。
それがかえって良かったという例もあり、早々と新政府や軍隊に勤めることで出世した例もあるそうです。
新政府に多くの旧幕臣が入ったということは、この前の大河ドラマでも描かれていましたが、急に国政にあたることになった薩長にはそれを賄うだけの人材は到底準備できず、多くの経験者がいる旧幕臣というのは貴重な人材源だったようです。
大久保利通の書簡も残っていますが、その中でも彼らの有能さを認める内容が書かれているということです。
今の世でも衰退する産業からの人材の移動ということが言われます。
大きく社会全体を考えればそうなのでしょうが、やはりその当人になってみれば大変なことだということはすぐに分かります。
明治維新の際の幕臣たちの人材移動という意味でもこれをよく考える必要があるのでしょう。