3年前に終わった平成の時代、まだ記憶に新しいものも多いのですが、その初期の頃はさすがにそろそろ遠くなっています。
そのような平成の時代を「平成史」として振り返る。
ただし、「歴史学者」と名乗るのはこの本が最後だということで、何も動こうとしないかのような他の歴史学者たちの姿勢に見切りをつけ、この後は評論家として書いていくそうです。
平成の時代、1989年から2019年までですが、私の年齢で言えば34歳から64歳まで。
人生90年の時代とも言えますが、その上中下で言えば中の時代がちょうど平成にあたります。
子育て、会社勤めでほとんどが占められていたような思いがあります。
しかしそんな中でも社会は刻々と動いていた。
そういった詳細をこの本では見ることができます
なお、これは著者の考えが強く出ているのでしょうが、平成史と言っても一般的な「起きた事柄を羅列する」ような歴史本とは全く違い、ほとんど「思想史」「言論史」と言うべきものを取り上げています。
そのため、スポーツや芸能などはほとんど無し。
経済の動きも言論の背景説明のように扱われるのみという内容です。
芸能でも安室奈美恵、宇多田ヒカルという名前は出てきますが、それもあくまでも思想的な解明の一部として扱われているかのようです。
全15章、1章あたり2年分の内容で章ごとにタイトルはついています。
例えば、第1章「崩壊というはじまり 1989.1ー1990」
第9章「保守という気分 2005-2006」
第13章「転向の季節 2013-2014」
それぞれ、その2年を的確に表現しているものと感心します。
膨大な記述になりますので、内容のまとめもできませんが、いくつか印象的なところを抜き書きします。
平成の構造改革論のルーツとも言えるものが、1977年に中央公論に発表された、榊原英資・野口悠紀雄連名の「大蔵省・日銀王朝の分析」であったそうです。
これがその後の政界再編の予見とも言えるものでした。
平成の間に保守と革新というものが遠心分離したかのように見えますが、それを見通していました。
現在の衆議院議員選挙の小選挙区制は日本新党が中心となった細川護熙内閣の時に成立しました。
細川の持論であった選挙改革とは大きく異なる形だったのですが、これは細川の意向をたがえる方向でそちらに持っていこうという、「ビジョンのすり替え」を行った人物がいたということです。
小泉純一郎内閣は「親米保守による新自由主義政権」と呼ばれ、ネオリベラリズムとナショナリズムのイデオロギーによるものだと言われます。
しかし、彼の言動・行動にどうも「過剰に一貫性・必然性を見過ぎている」のではないか。
小泉政権の行動にはかなり衝動的なものもあり、辻褄の合わないものもあります。
後付けで考えて何か最初から意図して実行したかのように見られますが、それほどしっかりとした見通しがあったわけではなさそうです。
多くの人物の多くの著作などが分析され、かなり厳しい評価もされています。
私がよく読んでいる人たちについてもボロクソに一刀両断されていることもあり、アレアレと感じるところもありましたが、まあそれは仕方のないことでしょう。
まあ面白い本でしたが、あまりにも細かすぎあまりにも長過ぎました。
疲れがどっと出たような読後感です。