20世紀末という時代はすでにかなり昔の話になってしまったのでしょう。
その頃にあった「モノ・コト」というものは、多くが絶滅しかけているようです。
私から見ればまだ記憶に新しいそういった事物について、取り上げれば懐かしいと思ってくれる読者もいるだろうという思惑で作られた(ような)本だと思います。
扱われている事物はだいたい1970年代から1990年代頃に普通に存在した物ということでしょうか。
1950年代以前、戦前といった時代のものはさすがにそれを見て「懐かしい」と思う世代はもはやかなり鬼籍に入っているのでしょう。
そういった事柄を、1生活(衣食住)、2学校、3趣味娯楽、4仕事技術に分けて一つについて1~2ページで記述しています。
なお、私にとってはこの時代はすでに青年期を過ぎ会社勤め、結婚、子育てといった頃にあたりますので、もはや「学校」の思い出は少し行き過ぎており、その項はそれほど共感できるものはありませんでした。
それではその中で比較的思い出のあるものからいくつか。
「だるまストーブ」
これは1970年代はギリギリではないでしょうか。
1965年くらいからは学校でも石油ストーブにどんどんと置き換わっていって、石炭炊きのだるまストーブはどんどんと姿を消していきました。
私の小学校時代(1960年代初め)、小学校は3回転校しましたが、その中で「ストーブがあった」のは1校だけでした。(他は”暖房器具まったく無し”)
その小学校では5年生だったので、石炭の準備から点火消火まで生徒たちがすべて担当していました。暖かかったのは間違いなし。
「はだいろ」
これはすでに子供も成年している身としては縁も無く、言われて初めて気が付きました。
私の子ども時代は当然ながら「はだいろ」という絵具、色鉛筆は存在しており、あの「うすだいだい」といった色調のものをそう表現していたのですが、その呼称は人種差別的だという指摘が相次ぎ、2000年頃には「はだいろ」ではなく「うすだいだい」や「ペールオレンジ」といった色名に変更されたそうです。
ただし、現在でも「スキンカラー」と題した色鉛筆のセットを発売している会社があり、それは逆に「様々な肌の色をそろえた」というセットだそうです。
「新聞の死亡広告」
これは都会ではもう絶滅なんですね。
熊本ではまだまだ重要な意味を持っています。
本書には「地方では今でも無料で掲載してくれるところもある」なんて書いてありますが、ここでは逆に「止めてくれと言わないと載せられる」に近い状況です。
放っておくと詳細な住所まで掲載されてしまいます。
昨年義父が亡くなった折には、住所の番地記載は止めてもらいました。
なお、10年ほど前に一時仕事で行っていた石川県では、新聞各紙ともに住所氏名だけでなく「遺族からの一言」なんていう欄もあり「明るい母でした」なんていう言葉が並んでいました。それも恥ずかしいと思いましたが。
20世紀世紀末なんて言われていましたが、それももう20年以上前、そのあとに産まれた人たちが成人式をやっていたということになります。
時の流れの速いこと。