爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より「年始のインタビュー」

内田樹さんのブログ「研究室」で「年始のインタビュー」と題して掲載されたものです。

blog.tatsuru.com

毎日新聞に掲載されたものだということですが、その主題として「選択と集中」ということについて語られています。

 

選択と集中」とは、特に国の文化予算についてよく使われていますが、企業の資源の有効活用という意味でも使われ、毎日新聞では1993年に大手繊維メーカー社長のインタビューで出たのが最初でそれ以来非常によく出てくる言葉になっています。

 

しかし、そもそも「選択と集中」しなければならない状況というのは、特に国の文化予算の場合は絶対量が少ないために仕方なくやるものであり、高度経済成長期には誰もそんなことは言わなかったとか。

 

そして、文系の研究者にはあまり研究費が回らなくなるということになっただけでなく、理系の研究者の中でも一見すぐに利益に結び付かないような分野には金が行き難いということになってしまいました。

 

それだけでなく、各研究者が「この研究のどこが利益につながるか」ということをプレゼンして研究費を取らなければならなくなり、その労力が大きすぎて本業の研究に差し支えるという事態がどこでも起きているというのも大問題です。

 

研究費全体の予算が限られているという現状ですが、それでもその少ない予算を万遍なく振り分けるようでなければならない。

そもそも、「これがこの先当たる分野だ」などと言うことは誰にも分からないからです。

それを現在の限られた知識だけで「選択」していれば多くのものを取り逃がすでしょう。

選択と集中」をするために「評価と査定」に無駄な手間暇をかけるなどはブルシットジョブだということです。

 

内田さんの話はそこから優秀な研究者の海外流出にも飛びます。

現在、日本出身の多くの優秀な女性研究者が海外に流出しているそうです。

特に女性は日本ではほとんどまともなポストも得ることができません。

アメリカだけでなく韓国や台湾でも日本よりは研究しやすい状況になっています。

日本人すら残らない状況で、海外からの優秀な研究者など日本に来るわけもありません。

移民で社会の活力を上げるなどと言う発想すらなく、できるだけ在留外国人の権利を奪うことばかりに一所懸命のようです。

まったく、自ら衰退の道を進みたくて進んでいるかのようです。

 

私も会社勤めの最後の頃には、大学の先生たちと仕事をする機会があり、その状況を見聞きしましたが、研究費を何とか物にしようという努力が特に研究リーダーの教授たちには特に重くのしかかっているということがひしひしと感じられました。

そして、若い人たちのポストが少なすぎるということもあり、有能な人々が数年の期限付きの職しか得られないという姿も見ており、これでは大きな仕事など不可能だということを感じたものです。

アメリカなどの金融資本主義の上辺だけを見てきたツケが出てきたのでしょうか。

実際にはアメリカでも広範囲の研究分野に資金は注ぎ込まれているということは(都合よく)無視してしまったのでしょう。