本の題名から、この本は世界の「地名」を民俗学的に扱ったものかと思いましたが、ちょっと違っていたようです。
まず、「住所」ということから日本的な「地名」かと思ったのですが、他国の描写ではほとんどが「通り」の名前でした。
これは欧米ではほとんどの住所と言うものが「何とか通りの何番地」という表記であるため、その「通り」の名前の命名というのが大問題だからということのようです。
そのためか、第7章は「日本と韓国」で「通りに名前は必要か」という形で扱われています。
日本のように「ブロックに命名する」という形の住所というのは世界的には珍しいもののようです。
かつて、フランスの文芸評論家ロラン・バルトが日本の都市を評して「この都市の通りは名前を持たない」と言ったそうですが、日本を訪れる外国人の多くはこういった感想を持つそうで、日本人に道案内を依頼しても自分の思っているのとは全く違う方式で説明され分かりにくいのだとか。
日本人の道案内では目立つシンボルを挙げてそこをたどるように説明するのが普通なのですが、欧米人であれば何通りを行って何通りに曲がってという形で分かりやすいのだそうです。
日本人がこのような住所の命名をするのは、日本人の字の書き方に関係するのではと考えています。
日本の原稿用紙は四角に区切られたもので、欧米のように下線が引いてあるだけの物とは違います。
日本では字を書くのに必ずしも上から下、左から右だけでなく、逆に書いても意味が通るというのもその一因ではないかとしています。
その他の章は欧米を中心に世界各国、そして歴史をたどっての住所の変遷といったことを話題にしています。
住所というものがどこにでもあるものと思っていては大間違い、実に世界の70%では詳細な地図ができていないそうです。
開発途上国だけでなく、アメリカでも地方に行くと住所というものが決まっていない所もあるのだとか。
そして住所を決めようという政府の試みに対しては統制強化や徴税や労役といったことを予想して反発を買うという状態がまだ続いているそうです。
アメリカやヨーロッパでは政情や世論の動きにより通りの名前を変えろという世論が強まるということが頻繁に起きています。
アメリカではかつての奴隷制支持者や奴隷使用者の名前のついた通りというものが数多く残っており、それを変えるようにという黒人たちの運動が続いています。
それを入れて黒人運動の指導者の名前などに変えるとすぐにその立札が倒されたりするということで、通りの名前ひいては住所名というのが紛争の種となることもあるようです。
ドイツの例ではかつてあったユダヤ人の名を付けた通りがあったものが、ナチスの時代にすべて替えられ、それが東ドイツでは戦後にロシアの名前にされて、東西統一後にまた変えられるといった変遷をたどっています。
こういった動きを見ると、日本における町名変更のドタバタとはかなり異なる性格のものだということが判ります。
世界ではこれからも通りの名称変更をめぐる騒ぎが起きていくのでしょう。