話し言葉などでは顕著ですが、文法に即した文章を話すことなどはかえって少なく、かなりの部分を「省略」して話すことが普通です。
しかし、どういった部分を「省略」して良いのかどうか、あまり意識はしていないようです。
こういった、「省略」について、韓国出身の言語学者である尹さんが、かなり細かく検討しています。
なお、当然ながら日本語にも韓国語にも通じている尹さんですから、韓国語における省略についても日本語の場合と比較することによって、言葉を省略することについてさらに深く見ることができたのかもしれません。
省略という現象は、話し言葉に限ったことではありませんが、やはり会話の中では頻発することのようです。
A;電話、かけてみた?
B;2回も。
という会話文では簡単に推察できるように、多くの言葉が省略されています。
しかし、これを「あなたは私に電話をかけてみましたか?」「はい、2回も電話をかけました」と復元したとしても、そのような文章をもともと意識していたとも言えませんし、それが復元の正解というわけでもありません。
省略するということが、言葉の伝え方で効率化を目指すということも言えます。
しかし、これも「効率」ということが誰にとっても一律であるとも言えず、もしも省略することで伝わらないことがあれば、効率的とは逆になる場合もあるはずです。
日本語での省略ということは、特徴的なものを含んでいる場合もあります。
あまり意識されていないかもしれませんが、日本語の言葉には「内容語」と「機能語」という区分があります。
内容語というのは、名詞・動詞・形容詞・副詞に見られる、何かはっきりした意味のある語で、辞書に記される項目として代表的なものです。
一方、機能語とは助詞、助動詞、接続詞などのもので、内容語と内容語がどのように関わっているかを表す言葉です。
そのため、機能語の「意味」は何かと言われても説明しにくいものです。
この機能語がしばしば省略される場合が多いようです。
ここで、本書では「省略」が起きることの多い場面として、新聞見出し、映画などの字幕を例に説明しています。
特に、映画字幕は字数も限られそれを表示する時間もわずかであり、その中でできるだけ情報量を多くするという目的があるために、かなり大胆な省略をしています。
外国映画の場合、字幕を付けて原語で放映する場合と、日本語に翻訳した吹き替え版で放映する場合とがあるのですが、同じ場面で字幕と吹き替えを比較しても、字幕での省略の度合はかなり大きなものです。
翻訳した字幕では、もうほとんどが名詞止、述語まで言い切ることはないようです。
それでギリギリ意味が伝わるかどうかの状態で内容を示そうとしています。
こういった言葉の省略は、日本語だけに限った話であるはずもなく、どの言語でも存在しているはずです。
これを著者の母語の韓国語と詳細に比較しています。
韓国語と日本語は非常に近い関係であり、言語の基本構造もほとんど一緒と言われています。
しかし、その「省略」について見ていくと、やはり少し様子が違うようです。
韓国語の場合も、日本語で実施したと同様に、新聞見出しや映画字幕の省略方法を取り出し比較しています。
韓国語ではほとんどハングル文字を使う関係で、日本語の表記とは異なり、言葉と言葉を空白で区切る、分かち書きをすることが多いのですが、新聞見出しではその空白を省略することもあります。
つまり、韓国語では空白も省略の対象とされるということです。
また現在では漢字はほとんど使われないのですが、強調したい言葉を一文字の漢字で表すという省略方法も行われます。
「アメリカ」という言葉の代わりに「美」という文字、「北朝鮮」という言葉の代わりに「北」という一文字に代えて表記することで、省略とともに強調の意味も加えるわけです。
また、映画の字幕を見ると日本語の場合と比べて明らかに文字数が多い。
省略の程度が低いようです。
また日本語字幕の場合は述語を使うことが少ないのに対し、韓国語の映画字幕では述語まで含まれることが多く見られます。
これを一言でまとめれば「述語を省く日本語、助詞を省く韓国語」と言えそうです。
こういった言葉の省略という現象は、実は言語の変化につながるということがあるようです。
言語は徐々に変わっていくのですが、そのきっかけや先駆けといった方向性を省略という現象が表しているのではないか。
これは、現在だけの問題ではなく、歴史上今までの言語の変化を促しているのではないか。
そう考えていくと、言葉の省略という現象はその深層心理に言語の変化というものを含んでいそうです。