爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「サステナブル(持続可能性)」とは何か その1「サステナブルの意味」

最近聞くことが非常に多くなった言葉です。

ちょっと前までは「サステナブル」なんて言ってもほとんど誰も知らなかったでしょう。

まあ、今でも意味を理解している人がどれほどいるか怪しいものですが。

 

そんなわけで、ちょっと知ったかぶり解説。

 

サステナブル、当然英語ですが、sustainable これを辞書で引いてみても「持続可能」としか出ていません。

 

「持続」というのがどれほど長く続くのか。

まあ永久と言いたいところですが、永久に続くものなど何もありませんので、「長期」としなければならないでしょう。

しかし、どれほどの期間が「長期」なのか、人によって様々です。

 

3年以上は「長期計画」なんて言う会社もありますが、少なくとも10年以上、本当は100年とすべきです。

しかし、100年でもとても長いとは言えません。

人類の文明が生まれてからの期間が1万年ちょっとですが、少なくともそれくらいは続くのが「長期」というべきでしょうか。

 

その期間の間、何がどうであればサステナブルなのでしょう。

 

それはその期間の中のある時間、例えば1年という時間を切りとり、その最初と最後で状態が変わらないことが必要です。

現状では、化石燃料使い放題、二酸化炭素出し放題で、さらにいろんな資源使い放題ということで、最初の化石燃料残量、二酸化炭素濃度、資源存在量等々と期間最後のそれは全く異なっており、しかも一方的な変化の方向を示しています。

化石燃料は減少、二酸化炭素濃度は上昇、資源は拡散)

これではとてもサステナブルであるはずもなく、いずれは大崩壊に至ります。

 

それでは逆方向であれば良いのでしょうか。

化石燃料が増加、二酸化炭素濃度はどんどんと減少していくようなことにもしもなれば、これもサステナブルとは言えません。

つまり、サステナブルとはこのような状態量がその期間の最初と最後で変化しないということです。

 

厳密に言えばこれは不可能です。

食料を作り食べるだけでも変化を伴います。

しかし、そういった変化を最小にすることでできるだけ近づけるということで、それを「サステナブル」と呼ぶということにすれば良いのでしょう。

 

それでは、次から「環境」「エネルギー」「資源」について、各論を書いていきます。

 

 (続く)