「ドリーム」は「夢」そして「ハラスメント」は最近ではセクハラ、パワハラなどでおなじみになった言葉です。
しかし、ドリームとハラスメントとが結びつくとはどういうことでしょうか。
著者のの高部さんは、大学で事務職員として学生のキャリア創造つまり就職支援といった仕事をしてきたのですが、多くの学生が就職活動をし、企業に面接に出かけるとそこで「あなたの夢は何ですか」と聞かれるそうです。
ところが学生のほとんどは、今後の仕事や生活に「夢」などは持っていません。
というと、「夢も持たないからダメなんだ」と考えられがちですが、実はこれが「ドリーム・ハラスメント」と呼ぶべきものとなっているということです。
今の若者たちはごく小さい頃から常に「夢を持て」と言われ続けています。
それも特に職業というものに限られた「夢」を持つように強いられています。
中には「結婚して幸せな家庭を作る」という夢を持つ子供も居てもよいでしょうが、「それはダメだ」と言われたということもあるようです。
高部さんは実際に多くの若者たちへのインタビューもやってきて、実際にこのような夢を持つことの強制が彼らを苦しめている実態があるということに気付いてきました。
強制しているのは、学校だけではありません。
親も常々そう言っています。
社会では企業も「ビジョンを持つ」姿勢がなければ企業として失格ではないかと思い込んでいるようですが、それが入社を希望する学生たちにとっては彼らも「夢を持たされる」ことにつながります。
現在はこのように強制される「夢」はほぼ職業に限られているようです。
しかし、将来の職業に夢を持てるようになったというのはごく最近の話です。
封建時代までさかのぼる必要は無く、わずか数十年前まではほとんどが農家や自営業、そこでは子どもの職業は「親のあとを継ぐ」のが当然であり、職業選択の自由などはありませんでした。
そこでは「就きたい職業」などと言うものは、本来の意味での「夢」つまり「目標」ではなく「夢想」でしかありませんでした。
ところが産業構造の変化により自営業者はどんどんと減っていき雇用者が増えていくと、子どもたちも何らかの目標を持って職業を選択しなければならないことになります。
そこで出てきたのが「将来の職業に夢を持って努力しろ」でした。
それがドリーム・ハラスメントにつながったということです。
ただし、親や教師たちは実際には「将来の夢を持て」と言っているものの、職業についてきちんと子どもたちに教えているとは言えない状況です。
高部さんは就職などについての学生生徒相手の講演と討論を数多く行っていますが、職業の話などをその場でしても「初めて聞きました」という反応が多いようです。
どうやら、「将来の夢を持て」と言いながら内心では「目の前の勉強をしっかりやれ」としか考えていないようです。
こういった親や教師たちを、「ハラスメントの悪意なき共犯者」であると表現しています。
「夢を持たなければ仕事ができないか」
そんなことは全くありません。
実は、すでに職に就いている大人たちは「職業に関する夢」はほとんど持っていません。
「社長になるのが夢」などと言う人は珍しい方かもしれません。
夢なんて持たなくてもちゃんと生活していけるんだということを若者たちに告げる必要があるのかもしれません。
夢を持ち、それに向かって努力し、それを叶えたという人もたくさんいます。
しかし、その人たちがそれで満足し幸福かと言えばそんなことはほとんどありません。
P氏はパイロットになることが夢であり、それに向かって努力しました。
しかし、望み通りにパイロットになった時は「最高に幸せだった」もののその後のパイロットとしての仕事はそれほど楽しいものではなかったようです。
N氏は自衛隊に入ることが夢でした。
しかし、希望通りに入隊した後は、「不幸せ度99%」だったそうです。
自衛隊での生活はまったく想像以下でした。
特定の職業だけでなく、ある夢を実現させた人のエピソードがあります。
「偏差値」というものをここまで普及させた始まりは、中学校教師だった桑田昭三さんという方の着想がありました。
生徒の進学というものが教師の経験と勘だけで決められていた時代に、権力的で閉鎖的な入学試験というものを数値化、見える化を目指して10万件以上のデータを集め独力で検討を加え「偏差値」というものを作り上げました。
しかし、桑田さんの「夢」であった偏差値は、その後まったく違った方向に妖怪のように拡大してしまい、今ではそれが教育界の悪のように言われています。
夢がもたらしたものというのは、必ずしもハッピーではないということです。
ドリーム・ハラスメントという状態を作り出したのは学校や親などかもしれませんが、社会全体にその責任がありそうです。