著者の梶原さんはアナウンサーとして活躍されていましたが、その後大学院に入りなおして心理学を学んだということです。
梶原さんにとっては、特に若い人(ばかりではありませんが)が使う言葉に気になることが多く、それも単に言葉づかいが悪いというだけでなく、そこに潜む心理的な内面も見えてくるようです。
そして、それは相手に気付かれれば仕事も任せようという気にもなれないような、その人の弱点(バカ)が丸出しになってしまうということです。
そこを「そんな話し方をすると軽く見られる」と表現していますが、これは読者たるべき若者たちに強くアピールするものと意識されてのことだと思います。
ただし、この本を読んで私なども「そうそう、そんな奴いるよ」という思いは抱きますが、そこで取り上げられている話し方は「自分じゃしないよね」と感じます。
しかし、この本を読もうという人の多くは私と同じような感覚を抱くのでは。
つまり、梶原さんが意図するように、この本を読んで「自らの話し方を変えていこう」という若者はほとんど居ないのではないかと危惧するわけです。
読者のほとんどは「自分じゃこんなことはないけど、こういう若いのが多いな」と言う感想を持つような中高年。
対象となるべきこの本に出てくるような「ヘンな話し方」をする連中は、そもそもこういった本は読まない。
というわけで、ちょっと残念な企画だったのかもしれません。
とはいえ、まあちょっと中身を取り上げておきます。
「こだわりはなんですか?と尋ねるバカ」
これは最近のテレビなどみていると氾濫しているので気になります。
梶原さんも「こだわり」と聞いて最初に思い浮かぶのは「強迫性障害」だそうで、あまり良い意味では使われなかったのが、このところ頻繁に使われるようになりました。
辞書の記述もまだほとんど否定的な意味で書かれているようですが、特に料理関係などでは「こだわり」が無いといけないかのような風潮です。
他にも「と考えるのは私だけでしょうか」「私って○○な人なんです」「という自分が居る」「”基本的に”を何でもつける」「ある意味・要は・逆に言うと・変な話」連発。
確かに、「こういうやついるいる」
梶原さんが知り合った営業マンで、初対面の人と会うのに何も考えずに出たとこ勝負という人が居たそうです。
放送畑が長い梶原さんにとって、「リハーサルをしないで臨む」などと言うのは考えられないそうです。
私も在職当時、プレゼンなどの際は長すぎるリハーサルをやり過ぎて、結局は予想外の方向に進んであたふたと言うことは多かったのですが。
まあ私と同年配の年代の者にとっては生き難い世の中になってきたのでしょう。