爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「本土空襲全記録」NHKスペシャル取材班著

太平洋戦争末期に日本全土に大きな被害があった「空襲」

しかし、日本の政府も軍部もまともな調査はしておらず、アメリカ軍もまとめていません。

その犠牲者が何人なのかも諸説あるような状態ですが、そもそも何日にどこが空襲されたかということすら記録はあいまいです。

 

NHKスペシャルでは、アメリ国立公文書館などに残されたアメリカ軍の戦闘報告書や作戦記録を入手し、総合的に分析を加えました。

また「ガンカメラ」という大戦末期に米軍戦闘機に取り付けられたカメラの映像がまったく未整理のまま保管されているのを見出し、調査をすすめていた大分県の市民団体とも協力し情報を整理していきました。

 

その結果、空襲の回数、使われた焼夷弾、銃弾数なども従来言われていたものよりはるかに多いということが分かりました。

空襲の回数は約2000回、焼夷弾が2040万発、銃弾は850万発に及んだということです。

さらに犠牲者の数も少なくとも46万人であることも掴みました。

 

日本本土への空襲は、空母から無理やり爆撃機を飛ばして来襲したドーリットル空襲(1942年4月)というものはありましたが、爆撃機の航続距離の関係で難しいものでした。

しかし、長距離飛行が可能なB-29の完成と、マリアナ諸島占領によって、往復の攻撃が可能となるとその作戦が遂行されるようになりました。

最初は飛行場や工場などを標的とし、爆弾を用いた精密爆撃という攻撃を行ったのですが、初期にはまだ日本軍による迎撃も盛んであったために、それが及ばない高度1万mからの爆撃を行いました。

しかし、そのような高高度からの爆撃はほとんど精度を欠き、目標への攻撃成功率が数%しかないといった状況でした。

これでは作戦自体が継続できないという焦りから、焼夷弾を用いる都市の絨毯爆撃へと方針を変更しました。

1945年1月27日、中島飛行機武蔵製作所を狙った攻撃では高高度から投下した焼夷弾は飛行場には落下せず、東京14区と千葉県市川市で燃え上がり犠牲者が出ました。

 

元々、非戦闘地域への無差別攻撃は1922年のハーグでの会議でアメリカ、イギリス、日本などで討議され禁止されているはずでした。

しかし、日本も中国の重慶に無差別爆撃、ドイツもロンドン空襲など、なし崩しにルールが崩され、アメリカもそれを口実に報復することができると判断しました。

 

新型焼夷弾M69を使っても大きな効果が出ないことが分かり、攻撃方法を変えることとなりました。

高高度攻撃は放棄し、1500mから3000mまで下げ、そのため高射砲迎撃の危険が増えるので夜間爆撃としました。

その変更後、最初が3月10日の東京大空襲であったのです。

この一夜で12万人が犠牲になりました。

 

その後、硫黄島を多大な戦死者を出しながらも奪取した米軍は、そこからの空襲を行うのですが、そこまで近距離となることで、新型戦闘機P-51をB-29と共に来襲させることができるようになりました。

日本軍も高高度まで上昇できる迎撃機を完成させ、それによる体当たり攻撃などで多くのB-29が撃墜されていたのですが、それに対処するとともに、戦闘機による地上攻撃も可能となりました。

走行中の列車や建物などを銃撃されるという空襲の被害はこれによって発生しました。

 

太平洋戦争開戦前は、アメリカは航空兵器というものをあまり重要視していませんでした。

長距離飛行が可能な爆撃機もまだ開発されておらず、米本土に到達できるものは無かったので、あまり開発意欲が無かったようです。

ルーズベルトが1939年に自国の空軍力を見て驚き、焦ったということです。

その時点では最新の爆撃機をわずか14機しか保有していなかったのです。

しかし、そこから戦前の100倍近い予算を注ぎ込み、わずか4年で航空軍の人員はおよそ2万人から200万人へ、航空機もピーク時には年間10万機を製造、明らかに出遅れていたアメリカ航空軍は太平洋戦争終了時には陸海軍と並ぶ巨大組織に成長しました。

爆撃機の性能も低いものだったものを、航続距離6000㎞、高高度の1万mまで上昇することができるように最新爆撃機B-29の開発を進め、原爆開発予算の1.5倍の30億ドルをかけて4年で完成させます。

それがマリアナ諸島占領に間に合い、本土空襲が実施可能となったのでした。

 

空襲の被害というものは、それほど明確にされていなかったようです。

戦争中は戦意喪失を怖れる軍部のため、戦後はアメリカ軍の意向ででしょうが、その後も何もできなかったのはなぜか。

そこにも大きな問題があるようです。