倉吉の「汽水空港」というのは、書店だそうですがコーヒーが飲めて座って話もできるといったスペースだそうです。
blog.tatsuru.comそこで内田さんは講演をしてきたとのこですが、その講演部分を研究室に掲載されました。
この汽水空港という店が、気軽に立ち寄り話もできるという意味で公共的な場所だという感覚です。
このような公共的スペースというものは、かつてはどこにでもあった。
英語ではCommonと言うのですが、19世紀までの農村では村落共同体の中での共有地で村落の誰もが家畜を放牧したり釣りをしたり果実やキノコを取ったりという場所でした。
こういった場所は東京でも1950年代くらいまでは存在していた。
行政サービスが十分機能していなかったため、こういった場所を皆で守っていくということも必要でした。
しかし、前の東京オリンピックあたりからどんどん変わっていきました。
個人個人が豊かになっていくのと合わせるように、高いブロック塀ができ私有地ばかりになっていった。
そういう具合に地域共同体が解体していったのですが、それに続いて家族も解体していく。
「自分らしさ」を追求しあらゆるものを私有化していく。
しかし、この30年間日本はどんどん貧しくなっているのに、「誰とも財を分かち合わない」というマインドだけは変わらないと嘆いています。
確かに、それだからこそ日本における貧困問題が大きくなっていくんでしょう。
共同体というものを復権させるということが重要だということです。