爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「新・現代歴史学の名著」樺山紘一編著

本書の前篇、「現代歴史学の名著」が刊行されたのは1989年でした。

そこには、津田左右吉ホイジンガブローデルフーコーなど、素人の私でも知っているような名著が並べられていたのですが、それから20年が経ち(本書刊行は2010年です)さすがに「現代」という言葉が指し示す対象が大きく変化してしまいました。

それは、社会の変革ということもありますが、それと同時に歴史学というものも進展したからだということです。

もちろん、前篇で扱われたものの光が失われたということではないでしょうが、昔を振り返る歴史学であっても社会の動きで変わっていくということでしょう。

 

そんなわけで、本書ではニーダム、梅棹忠夫、ゲイ、ギンズブルグなど18人の歴史家(とは言えない人も含んでいますが)の名著を紹介しています。

 

しかし、その18人の中で「歴史好き」を自称している私が読んだことがあるのは網野善彦さん(それも1冊だけ)だけという、笑えない事態となってしましました。

ほとんどの名前は初めて聞く人ばかり。

その書物も「刊行時には大きな反響を呼んだ」などと書いてあっても、まったく存在も知らなかった。

図書館で目につく本だけを読んでいては、こんなものでしょう。

まあちょっと反省し、できればここで紹介された本も読んでみたいと思います。(図書館にあれば)

 

ウォーラ―ステイン「近代世界システム」(1974)

 近代から現代まで世界を覆った「国民国家」を絶対視する歴史観に代わり、「世界システム論」というものを打ち立てた理論書だということです。

「たんに歴史学の理論というにとどまらず、社会科学全般に大きな影響を与えて、世界の現状分析にも一石を投じた」そうです。

全然知らんかった。

 

ベネディクト・アンダーソン「定本 想像の共同体」(1983)

ナショナリズムの基礎となるべき「nation」というものは「想像の共同体」に過ぎないということを論じたもので、アンダーソンは東南アジアの研究が専門であったのですが、その近現代の歴史を見ていくにはナショナリズムというものを見直さなければとうてい理解できないから、この考察に進んだということです。

 

ダワー「敗北を抱きしめて 第2次世界大戦後の日本人」(1999)

大戦後の日本人の苦しい日々を本格的に描いた本で、1999年に英語の原書が発表されるとピュリッツァー賞を始め10以上の賞をさらったそうです。

天皇から浮浪児まで、マッカーサーから一介の米兵まで登場し、占領期の主要な政治・経済・文化の問題のほとんどに分析を加えている。

また日本人でもあまり目にしたことのない多数の写真が目を引くそうです。

「原文を読んですぐ感じるのはその英文の美しさである。思わず感嘆の声をあげるほどである」だとか。

また天皇をはじめ日本の指導層への厳しい眼は印象に残る。というのも興味深い。

結果的に戦後の日本は矛盾した社会として成立したと指摘する。

「日本人が書かなかった、書けなかった歴史をジョン・ダワーという外国の歴史家が書いたのである。」とまで言われてしまえば、読んでみたくなりました。

ただし、いくら英文が美しくても邦訳で。

 

新・現代歴史学の名著―普遍から多様へ (中公新書)