爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「使ってみたい 武士の日本語」野火迅著

つい150年ほど前まで、日本には「武士」と呼ばれる人々がたくさんいました。

しかしあっという間に彼らは消え去ってしまったかのようです。

それとともに、彼らの使っていた言葉も多くは消えました。

ただし、消えて誰も使わなくなった言葉のようで、何か聞いたことのある気がします。

それは、「時代小説」「時代劇」といった分野の作品の中で何度も使われているからです。

意味もよく分からないまま、言葉の雰囲気だけは感じ取っているのですが、どうせならその意味をはっきりと認識し、できれば現在の生活で使ってみてはいかがでしょうという本です。

 

挙げてある言葉の多くは、今ではほとんど使われていません。

大義である」とか「恐悦至極に存じます」「片腹痛い」などは時代劇で聞いていますが、使う人は見たことがありません。

さらに、どうも正確な意味もよく分かっていないようです。

 

大義である」は、「費用がかかる」という意味が本来であった「大義」ですが、この場合は「骨が折れる」「面倒だ」という意味で使われます。

そういったことをしてくれてありがとう、という意味で、必ず目上の者が目下の者に使います。

 

「片腹痛い」の「片腹」は、もともとは「傍ら」だったようです。

しかし、中世以降「片腹」となり、「おかしくて片方の腹が痛い」という意味に考えられるようになりました。

清少納言枕草子には「傍ら痛きもの、よく音響きとどめぬ琴を」という文章があります。

意味としてはこの当時と同様のようです。

 

「恐悦至極」の「恐悦」は「恭悦」とも書きますが、もともとは恐れ多い、という意味があります。

つまり、目上の人や貴人に対し喜びや満足を述べる時に使われます。

 

こういった言葉を、現代でも会話やメール、手紙でひとこと上手く使ってみたいと書かれていますが、やっぱりちょっと無理だろうな。

 

使ってみたい 武士の日本語 (朝日文庫)

使ってみたい 武士の日本語 (朝日文庫)

  • 作者:野火迅
  • 発売日: 2016/11/07
  • メディア: 文庫