世代間倫理というものに触れ、これまでいろいろと社会の不合理に悩んできたのが一気に目の前が明るくなったような思いがして、何度かそれについて書いてきました。
しかし(まあ当然でしょうが)社会の不安も募るなか、後の世代のことを考えるなどという一見のんびりした話は注目を集めるはずもありません。
以前に書いたように、石油や資源の枯渇、原発核廃棄物、二酸化炭素温暖化、環境汚染などすぐにでも取り掛からなければますます次世代以降への悪影響が増加すると考えられる「世代間倫理」の焦点ともなるような課題は山積みです。
それではなぜそういった大問題に人々の意識が向かわないのか。
まあ誰でも感づきそうな話ですが、まとめてみます。
簡単にわかることですが、とにかく未曽有の社会不安で今日の生活すらどうなるかわからないような状況で、明日どころか未来の話など考えていられるかという状況でしょう。
特に今年のコロナ禍では多くの産業で厳しい状態に陥り、営業の継続すら危うくなっています。
関係者の不安はこの上なく大きくなり何とか生き延びるだけでも必死の状況です。
コロナ禍の前も別に平穏無事というわけでもなく、資本主義の欠陥により富の独占は進行しほとんどの人の窮乏が激しくなるという状況悪化が続いていました。
経済成長どころか、成長しないものを奪い合うゼロサムゲーム、いや悪くすればどんどん縮小するパイを奪い合うマイナスサムゲームのような状況、そしてほとんどの人が負けるゲームを戦っています。
このような時に「後の世代のことを考えて行動する」?そんなことをしている余裕があるはずはないでしょう。
ただし、実はこのような時代だからこそ、今が「世代間倫理を考えた社会づくり」をすることができる、未曽有のチャンスなのです。
好景気で皆が浮かれているような時に、「のちの世代のために今は制限を」などと言っても誰も聞く耳は持ちません。
しかし、このようにどこを見ても皆最悪の状態という時だからこそ、もはや大量消費で景気回復などと言う夢は捨て、どうせマイナス成長だからせめて「後代から感謝されるような行動を」取ろうということもできるのでは。
このブログでも「エネルギー文明について」というところで何度も書いていますが、まず「エネルギーの大量消費を停止する」ということで、早くも「化石燃料の枯渇の恐れ」を気にする必要はなくなります。
さらに、世界の多くの人々が問題視する「二酸化炭素の増加対策」も図らずも達成されることになります。
さらに、直接は結びつかないものの、「汚染物質の大量排出」もできなくなるでしょう。
こんなに良いことをなぜ考えようともしないのでしょうか。