爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「卑弥呼の陵墓 江田船山古墳の真実」荒木信道著

荒木さんは熊本県出身で詳しい経歴は書かれていませんが、おそらく在野の歴史研究者であろうと思います。

 

江田船山古墳は熊本県玉名郡和水町にある古墳で、そこから出土した七支刀は75文字の漢字が刻み込まれており、他の出土副葬品と共に国宝に指定されています。

しかし、その割にはあえて重要視されていないと感じられます。

荒木さんはそこに異議を唱え、この江田船山古墳こそが邪馬台国女王であった卑弥呼の陵墓だと主張しています。

 

大正10年に当時京都帝国大学の総長であった濱田耕作氏と梅原末治氏がこの古墳を調査しました。

そして多くの出土品を研究用として持ち帰り、その後調査結果を発表したのですが、初回の1回のみでした。

その後はさしたる調査もせずこの古墳の重要性は無視されたかのようです。

 

荒木氏はこの古墳の構造や出土品のレベルの高さから、これこそ当時の倭国を治めた邪馬台国の中心にあり、女王卑弥呼の陵墓であったと主張しています。

 

倭国の諸国についても奴国に至る国々は他の説とほぼ同様ですが、その他の国々もだいたい北九州から肥後などの周辺で比定できるとしています。

 

江田船山古墳を含む鶯原台地に、昭和49年に奇妙な穴があると届け出があり調査されましたが、何のためのものか分からないままでした。

これを「トンカラリン隧道」と呼ぶそうですが、これを荒木氏は卑弥呼の王宮から陵墓へつなぐ回廊であったと推測しました。

このような構造の墓は中国古代や古代エジプトにも見られるもので、国王の墓を守るために作られたものだとしています。

 

地方の歴史研究者が地元の遺跡にのめりこんで素晴らしいものだと証明しようとするという例は数多く見られますが、この荒木さんの活動はそういったものと同じと見なすだけでは済まないような大きなものを感じます。

大正から昭和にかけての京都帝大の調査と言うものがどのようなものであったのか、そこにも問題がありそうですが、出土品の多くを国宝としながら、古墳自体の重要性を認めないというのはおかしな話だとは言えるでしょう。

 

卑弥呼の陵墓 江田船山古墳の真実

卑弥呼の陵墓 江田船山古墳の真実

  • 作者:荒木 信道
  • 発売日: 2013/12/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)