高野さんはアジアからアフリカまで世界の「辺境」と言われるところにあちこち出かけていくのが好きという人ですが、特にアフリカ北東部のソマリアやソマリランドに行きその社会を探ってきました。
しかし、世界の中でも特に危険な地域ということで、他にそこに行ったことのある日本人はほとんどなく、その地域の話をしようにも話の合う人は居ないという状況でした。
ところが、日本史の中でも中世史の専門家である清水さんとは非常に話が合うそうです。
それはなぜかと言うと、現在のソマリランドと応仁の乱当時の日本とはかなり似たところがあるからのようです。
乱世と言いますが、そこには氏族などを基にした秩序というものがありました。
それは現在のソマリランドでも同様で、無政府状態だと言われていますがそこには一種の秩序がありそれに従っていくことで何とか暮らしていけるものだそうです。
そんな二人が、現在のアフリカなどの辺境と、かつての日本について様々な面について語り合ったという本です。
神戸市連続児童殺傷事件が起きた頃、子どもに「なぜ人を殺したらいけないの」と聞かれてどう答えたら良いかわからないということが広く話題になったことがありました。
しかし、中世の日本人なら明確に「人を殺したら自分や家族が同じ目にあうからだ」と答えたはずです。
そしてこれは現在のソマリランドの人達も同様の答えをするでしょう。
つまり、殺人に対しては復讐するというのが当然だからです。
ただし、現在のソマリランドではある程度「金銭で賠償」という道もあります。
しかし、中世の日本では賠償という観念がなかったそうです。
必ず復讐するということになっていました。
古代ではどの社会でも自力救済すなわち自分で復讐するしかありませんでした。
それが徐々に復讐が制御される社会、復讐が禁止される社会へと進んでいきました。
しかし、中世になっても賠償の発想がなく復讐のみであった日本は世界でも特殊な社会だったようです。
「サキ」と「アト」という言葉は、もともとは空間的に前後を示すものだったのですが、時間概念でも使うようになりました。
ところが「サキ」が先なのか後なのかというのは簡単な話ではありません。
「先日」というのは過去の話ですが、「先々のことを考えて」というのは未来の話です。
これは、どうやら時間の後先の観念が途中で入れ替わったためのようです。
中世までの日本語では「アト」は未来の意味しかなく「サキ」は過去の意味しかありませんでした。
つまり、それ以前の日本人は未来と言うのは背中から後ろ向きに突っ込んでいくような感覚だったそうです。
それが、16世紀ごろから逆の意味が加わってきました。
そのころから、未来は制御可能なものだという自信を持ち、「未来は目の前に広がっている」という現在と同じ認識になってきたようです。
日本人は「空気を読む」ことばかりに気を使うとよく言われます。
同調圧力が強すぎ世間体を気にするというものですが、実は「世間体を気にする」だけならソマリ人もアラブ人も同様です。
ただし、空気を読んで「言いたいことも言わずに議論が苦手」というのはあまりありません。
これはタイ人にも見られるようですが、日本とタイとの共通な点は「植民地支配を受けなかった」ことだそうです。
表面的にはニコニコしているが裏では悪い噂を流したり足を引っ張ったりする。
なんか「女子校みたいですね」というのは清水さんの意見でした。
この気風はエチオピアにも見られるようで、ここもほとんど植民地支配を受けなかったという歴史があるそうです。
エチオピアはソマリと隣り合っているのに、国民性は完全に違うのは歴史的な経験の差かもしれません。
かなり深い内容もあり、立派な「超時空比較文明論」になっていました。