全聾の作曲家として大いに持ち上げられていた佐村河内守が、実はそのすべての作曲をゴーストライターの新垣隆に書かせていたというスキャンダルが世を騒がせたのは2014年のことでした。
その発端となった週刊文春の記事を書いた本人である、神山さんがその事件の全貌を描いたという本です。
神山さんがそれに関わるようになったのは、腕に障害がありながらバイオリンを演奏するという少女「みっくん」を取材するようになってからでした。
「みっくん」は佐村河内が弟子と称し、その曲を演奏することであちこちでコンサートを開いたりしていたのですが、佐村河内の指示がかなり横暴になったために、その両親(大久保家)も困惑していたということでした。
そして、色々な曲折はあったものの大久保家と共に新垣氏に会い、彼が18年間にわたって佐村河内の曲と言われているものをすべて作曲してきたという事実を知ることになりました。
新垣も佐村河内の活動がさらに社会的に大きくなっていくことで、世間を騙しているという自責の念が強くなり、作曲を断ろうとしていたものの佐村河内に強く頼まれて断り切れず、何とか解消したいという思いが強まっていたこととちょうどタイミングが合ったようです。
その後、神山さんは佐村河内や新垣の生まれ育ちから取材し、このような事件を起こすことになった経緯も含めてこの本を完成させました。
佐村河内守は広島の出身、その後「全聾」と称しますが、実際は若干聞こえが悪いといった程度で身体障碍者とも言えない程度のものだったようです。
何とか人の注目を浴びたいという欲が強く、高校卒業後は俳優になりたくて上京、しかしほとんど仕事もありませんでした。
さらに、バンドを作って音楽活動。
歌はそこそこうまかったものの音楽的な素養はほとんど無かったために大したことにはなりませんでした。
しかし、ちょうどコンピュータゲームがブームとなり、そこでゲーム音楽を作るという仕事に入り込み成功していったようです。
そこには新垣隆との出会いということもありました。
新垣は子供の頃から天才的な音楽の才能があると言われていました。
特に作曲では小学生の時からフルオーケストラの曲を書くことができるということで天才的なものだったようです。
高校から大学へとそのコースで注目はされていたのですが、ただしこのようなクラシックの作曲家と言うものがそれだけで稼げるような時代ではありませんでした。
新垣も収入もさることながら、演奏できる環境がほとんど無いことに焦っており、それをちらつかせる佐村河内に取り込まれてしまいました。
自分の名前が出なくても、その曲を大規模なオーケストラなどで演奏されるだけで満足するということになりました。
「みっくん」もそうですが、その他の障害のある子供などを使って、世間の同情を集めるように仕向けるという点でも佐村河内の嗅覚は優れたもので、そういった子供を探し旨い話をちらつかせ、売れる手段として使っていくというペテン師の才能は優れたものでした。
しかし、手なづけたつもりの子供が反抗したりするとひどく怒り出し凶暴な手段で対抗するといったことがあり、大久保家も佐村河内から離れることになり、そこからすべてがバレていくことになります。
ただし、本の中でも繰り返し触れられていますが、佐村河内のペテン師的な行動が発端ではありますが、それを取り上げもてはやしたテレビ局などの行動もこの事件を作り上げていった大きな要素です。
彼らが「佐村河内に騙された」と言い訳することはできません。
そこまで含めた「事件の全貌」ということなのでしょう。