熊本県南はようやく小康状態となり、今は晴れ間も出て暑くなっています。
しかし、梅雨前線は南下しているため、梅雨明けまでには少なくとも一回はまだ雨が降るのでしょう。
列島沿いに長く前線が伸びているため、あちこちで豪雨となり、岐阜県や長野県で大雨特別警報が出る事態となってしまいました。
数日前には長野の叔父からお見舞いの電話を貰いましたが、今度はこちらから電話しなければいけないかどうか、状況を見て考えなければ。
このような気象災害が出てくると必ず見られるのが「温暖化による気候変動のため」という言葉です。
そんなことを言わずとも、災害に備えると言えばよいのに、自説を述べなければ気が済まないのでしょう。
しかし、温暖化などはまったくなかった時代から、日本列島には各地で数えきれないほどの気象災害が発生していました。
こういったことは忘却の彼方に行ってしまったのでしょうか。
私の手元には当地の郷土史家、名和達夫さんという方がまとめた「八代地方の災害史年表」という小冊子があります。
昔の古文書や諸機関記録などをまとめた労作で、この地にどのような災害があったのか、分かる範囲で詳述されています。
その中で、昭和20年頃からの豪雨災害だけを拾っても数えきれないほどのものです。
昭和21年5月から6月、豪雨が県下を襲い熊本市世安橋流出、不知火町でがけ崩れ
昭和23年7月、豪雨で県下の水田3500haで田植不能
昭和24年8月、台風の豪雨で球磨盆地では400-600mm以上の降雨となり浸水
昭和28年6月、県下に豪雨、熊本市を中心に死者537名の大水害となる。(626水害)
等々、毎年のように豪雨で災害が起きています。終戦直後の何もない時、まさか温暖化が進んでいたとは言えないでしょう。
当時は堤防などの防災設備が整っていないとも言えるかもしれません。
しかし、現代では当時は建物もなかった川や海の直近にまで家などを建てるという危険状態になっており、それほど状況は違わないのかもしれません。
今回の熊本県南水害では、あまりにも水位上昇が速すぎたため、逃げることもできずに家に取り残される人が続出、またもヘリコプターの救助待ちという事態が頻発しました。
そうなるとまた「早目の避難」という声が高くなるのでしょうが、コロナ禍の中でなくても避難所の少なさは隠しようもありません。
それを思えばなかなか避難所に向かう決断ができない場合も多いのでは。
例えば、今回も八代市では市内全域の12万人あまりに「避難指示」を出しましたが、もちろんそれだけの人数を収容する避難所などあるはずもありません。
私の住む地域も人口は5000人以上だと思いますが、そこにある避難所の収容人数はせいぜい100人程度でしょうか。
そもそも避難所に入れるはずもないのに、それで実際に被災したら「避難所に行かなかったのが悪い」となるのでしょうか。
なお、当地の避難所の多くは「コミュニティーセンター」となっています。
数年前までは確かこれは「公民館」となっていました。
中身はまったく変わらないのに名前だけ変えたのですが、その欠点が今回明らかになりました。
テレビの端の方に情報提示ということで帯状に文字が流れるのですが、これまでなら「松高公民館」の5文字で済んでいたのが、「松高コミュニティーセンター」となって一つの画面に入りきれないほどになりました。
情報の伝達量を妨害するような事態です。
こんな、カッコばかりの名前にする必要がどこにあるのでしょう。
もう愚痴ばかりの「あれこれ」になってしまいました。